ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

Winny事件判決を刑法理論に当てはめて理解する

Winny事件の論評において、もう一つたまに見られる思考の罠がある。それは、Winnyはどう考えても作者が著作権侵害を幇助する意思で作ったものだから、同じような機能を実装する他のソフト(たとえばFreenet)とは違って問題だ、という考え方だ。この発想の何が問題なのか。それを考えるためには、刑法の基本的な思考様式と、それが今回の判決でどのように適用されているのか、それを理解しておいた方が良いだろう。そんなわけで、この文章は、もともと「Winny事件論評の旧行為無価値論を批判する」という表題でまとめていたのだけど、内容的には上記タイトルの方がしっくり来ると思って多少書き直したものである。

犯罪の成否は、一般的には次の3つの要素で判断される。

構成要件該当性
刑法(特別法も含む)の条文で規定された犯罪に、客観的に該当する行為があったかどうか、という要件。たとえば、人を殺したら殺人罪になるけど、胎児を殺しても殺人罪にはならない(堕胎罪になる)し、既に死んでいる人を撃っても殺人罪は成立しない。
違法性(阻却事由の有無)
実際には違法性に欠ける行為は犯罪としない、という要件判断で、正当防衛や正当業務行為の判断に使われる。学説によっては(刑法は学説の体系によって結論の出し方が全然違う学問だ)微罪には違法性が欠ける、という言い方もされる。
有責性
客観的に犯罪行為で違法性が阻却されないものについて、行為者に刑罰を科するだけの責任があるかという要件。一番重要なのは故意(あるいは過失 - 犯罪による)の有無。故意のない行為は罰しない。心神耗弱であった者も罰しない。

故意というのは、実際には違法性の意識(違法な行為を行っているという意識)であって、犯情(悪意の大小)とは全く異なる概念であることにも注意してもらいたい。

さて、Winny著作権侵害のための道具か否か、という判断がどこにかかってくるかというと、構成要件該当性(あるいは論者によっては違法性)の部分である。故意ではない。故意は、自分の行っている行為が違法であるかもしれないという意識があるだけで成立する*1。今回の事件においては、Winny作者に、Winny著作権侵害を容易にする、という認識*2があれば足りる*3と既にされているので、「Winnyはどう考えても作者が著作権侵害を幇助する意思で作ったものだから」どうのこうのというのを問題にする意味はほとんど無い。*4

さて、構成要件には、客観的構成要件と主観的構成要件があるのだけど、主観的構成要件というのは、目的犯*5など本人の意思によって定まる構成要件を言うので、Winny事件では問題ではない。

さて、客観的構成要件の判断にあたって、「Winnyはどう考えても作者が著作権侵害を幇助する意思で作ったものだから」該当性がある、という言い方はできるだろうか? 何となく、出来なさそうな気がしてこないだろうか? 結論はもう出ているような気がするけど、客観的構成要件該当性はどうやって判断するのか、もう少し細かく考えてみよう。

客観的構成要件を判断するにあたっては、概ね以下の点が問われる:

  • 実行行為の有無
  • 結果の発生
  • 実行行為と結果の間の因果関係

このうち、実行行為と結果の発生は、ここでは問題ではない*6。問われるのは、Winny作成・配布という行為と、正犯による著作権侵害という結果発生の間に、因果関係が認められるか否か、である。結果発生と無関係な行為を理由に犯罪に問うわけにはいかない。

因果関係の判断方法には、かつては「あれなくばこれなし」という基準で判断する条件説というものがあったのだけど、これでは異常な経過を経て結果が発生した場合でも、因果関係があったことになってしまう*7。そこで、行為と結果発生の間には相当性が必要であるという相当因果関係説というのが、日本では概ね通説的見解になっている。

この相当性というものをどう判断するかが問題になる。実のところ、相当因果関係をどう判断するかという問題は、日本の刑法学においてはやや混沌としているので、どれか一つだけ教科書を読めば分かる、というようなものではない。しかし、確かなのは、「Winnyはどう考えても作者が著作権侵害を幇助する意思で作ったものだから」相当性がある、という言い方をしてしまうと、客観的構成要件該当性の判断において、主観的事情(しかも、どちらかと言えば犯情)の存在に基づいて犯罪の成立を肯定することになってしまうということである。

このように、構成要件や違法性の判断において、主観的事情を考慮してその成否を決定するという立場を行為無価値論という。現代の日本の刑法学では、この逆の立場である結果無価値論が基本的に支持されていると言って良いであろう。注意すべきは、行為無価値論においても、主観的事情にのみ基づいて違法性を判断することもできるという立場は、もはやほとんど支持されていないという点である。モダンな行為無価値論は、客観的要件を満足したものについて、さらに主観的事情に基づく絞り込みを行うという行為無価値・結果無価値二元論なのである*8。古典的な行為無価値論とは似て非なるものである。

ちなみに、相当因果関係の判断に関連して、実行行為が結果発生について客観的に危険の創出と危険の実現に関連していなければならない、という考え方があって、客観的帰属論と呼ばれている。包丁を販売する行為が殺人幇助罪になっては困る、という議論(中立的行為による幇助の問題)は、この客観的帰属論の問題と理解されている。客観的帰属をどう扱うかは、争いがあるとも言えるが、客観的帰属を相当因果関係の一部として考慮している、という見解が比較的有力だろうと思われる。この辺は客観的帰属論に関する安達論文が参考になるが、危険の実現については実行行為論に吸収し、危険の実現に関しては規範的判断(社会的相当性を基準にした判断)が行われざるを得ないと言えそうだ。そして、この客観的帰属の有無は、犯罪の類型ごとに判断される。

実のところ、今回のWinny判決は、ここまでの判断フローに則っている、刑法理論的には筋の通った判決である。今回の判決について、理論的に正しい構成になっていないとするまともな批判は、ハッキリ言って「あり得ない」。

では今回の判決は正当なものか、というと、そうではない。上記の通り、客観的帰属の有無は、犯罪の類型ごとに判断されるであろうが、そうすると、今回のような著作権法違反の幇助罪において、いかなる行為に客観的帰属が認められるかという点が問題になる。今回の判決では、著作権侵害の目的で広汎に使用されている(構成要件的故意の対象となる犯罪事実)ソフトウェアに改良を加え配布する行為について、すべからく帰属ありとしていて、これが事実認定基準としてはなおも「広汎であると言える」点が問題となるのである。注意すべきは、本判決においても、本件のような中立的道具の作成において、幇助罪が過度に広汎に認められる危険性を危惧して、Winnyほど社会的に広く使用されるものにおいては云々、という限定によって、それを抑止しようとしているのである。

追記: しばらく前に小倉氏もこの点について言及していたようだ

この限定方法は、Winnyだけを犯罪成立の対象とすることは可能であったが、問題がある。ひとつはその方法の正当性であり、ひとつはその基準の曖昧性であり、究極的には社会的相当性の欠如だ。正当性については白田氏が既に「企業にも認められない責任を個人が負わされることになる」と批判するところである。そして、社会的に広く使用されているもの、という判断要素には、かなり恣意的な運用が認められる余地がある。Vectorなどのソフト公開サイトで千件程度もダウンロードがあれば、広く使用されていることにならないか。さらに、開発を継続した点をもって危険実現連関ありとすることの危険性は、今回のWinny事件で周知の事実になったことかと思う。開発の止まったソフトウェアにセキュリティホールが見つかって、修正されることがない場合、中立的道具のユーザーに(あるいは「によって」)セキュリティ上の危機がもたらされることになるのだから、開発の継続をもって実行行為とみなすことによって、これを抑止してはならない*9

すなわち、本判決の提示した、(中立的道具にかかる)幇助成立のための十分条件には、社会的相当性が欠けているのである(相当因果関係の判断で最終的に求められるのは、社会的相当性という規範的判断であったということを想起してもらいたい)。

*1:故意の成立に必要な認識とはいかなるものであるかというのは、刑法学においては重要な論点なのだけど、それを語るとまとまらなくなるので今日は割愛。

*2:これももちろん未必的概括的故意があり得るのかという点で議論になるのだけど、きりがないので割愛

*3:少なくとも個別具体的な著作権侵害が起ころうとしている場合には=目の前で人を殺そうとしている人に包丁を売る場合には

*4:あるとしたら、それは「概括的故意に基づく幇助犯の成立は妥当ではないが、Winny作成の意思は著作権侵害幇助のための確定的なものだ」という立場を支持する場合くらいであって、その場合でも、Winnyの作成・配布が構成要件該当性が問われることに変わりはない。

*5:犯罪の成立に「目的」が要求されるもの。たとえば、単純な誘拐行為だけでは結婚目的誘拐罪は成立しない。結婚目的という主観的事情があって初めて同罪が成立する。

*6:実行行為が問題になるのは、主に正犯と従犯の区別や不作為犯の成否など。結果が問題になるのは、たとえば既遂・未遂時期など

*7:殴ったら歯が折れたので歯医者で治そうと車で移動していたら、その車が交通事故にあった、という場合に、傷害致死罪を認めるわけにはいかないが、殴らなかったら歯医者に行くことも無かったのだから条件説的には因果関係があることになる。

*8:たとえば井田良。井田の結果無価値一元論に対する手厳しい批判として「刑法総論の理論構造」は興味深い資料といえる。

*9:なお、Winny個人情報流出等の「セキュリティ問題」を起こしうるという点は、この議論とは全く無関係であることに注意されたい。高木氏はこの意味での「セキュリティ問題」を(あえて行っているかどうかは知らないが)並べて論じているので、読む側には相応のリテラシーが要求されているということに気づいておくべきだ。