ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

通信の秘密と「匿名で読む権利」

MIAUパブリックコメントには通信の秘密に関する言及がある。これは予備知識が無いと分かりにくいかもしれないので解説する。*1

レッシグのCODEを読んだ事がある人は多いだろうけど、「コーエン公理」という言葉を覚えている人は少ないかもしれない。さらにその関係で"A right to read anonymously"という論文があることを知っている人はほとんどいないだろう。

http://www.law.georgetown.edu/faculty/jec/read_anonymously.pdf

論文そのものを読む必要はない(僕も昔読んだけどほぼ忘れた)。以下のCODEの記述で、その意図は理解できるだろう。


でもこの(誰がどういう買い物をしたかという)追跡は、ある程度の侵害を必要とする。われわれがいま暮らしている世界は、自分が読むものについて、イギリスでの学生時代にわたしが購入品について考えていたように考える世界だ -- だれかがそれを追跡しているなんて、まったく予想していない。図書館が、みんなの借りる本を記録しておいて、それを監視に使ったりしているなんてわかったら、みんなびっくりするだろう。

でも、こうした追跡こそまさに信頼システムが必要としていることだ。そこで問題はこうなる:こうしたモニタリングに反対する権利があるべきだろうか? この問題は、フェアユースの問題と同列のものだ。モニタリングが有効には起こりえない世界では、もちろんそんなものに反対する権利はなかった。でもいまやモニタリングができるので、われわれは匿名で読むという隠された権利、これまでテクノロジーの不完全さによって与えられていた権利が、法的に保護されるべき権利かどうかを問う必要がある。

ジュリー・コーエンは、それが保護されるべきだと論じるし、彼女の議論がどう展開するかはかなり直接的に見ることができる。どういう源であれ、この世の中でわれわれが自分で知的な探求を行えるというのは価値だ。われわれが他人に知られたり見られたり、読むものに応じて他人の行動を変えたりすることなしに匿名で読めるというのが価値だ。これは知的自由の要素だ。われわれをわれわれたらしめているものの一部だ。

でもこの要素は信頼システムによって、可能性としては消滅させられてしまう。このシステムはモニタリングすることが必要で、このモニタリングは匿名性を破壊する。われわれは今日の価値を保存したいか、そしてするならその方法を、信頼システムの文脈で決める必要がある。

信頼システムというのはtrusted systemと書けば理解されるかもしれないけど、要は個人認証ができないと利用できないシステムのことであろう。

これがネットに反映されると、そこには通信の秘密の現代的課題があるということになる。具体的には、「適法サイト」などで「適法ダウンロード」を実効的に確保するために個人情報を収集されることが必須となる事態に対して、われわれは法的に保護されるべき権利としてのright to read anonymouslyを主張することで、これに抵抗することができるのである。

こういう「法の不存在」の問題を、実定法の文脈でしか捉えられないかわいそうな人は、成文法として存在していないとか、立法で規制してしまえばいいとか、ズレたことを言うようになるわけだ。文化庁が僕らに求めているのは、自然法レベルでの制度の在り方も含めたコメントなのだし、自然法的背景をもたずに、実定法でどうにでもなる、みたいな主張には意味がない。法律はおもちゃではないのである。

…だから、何でパブリックコメントじゃなくて、こんなの書いてるんだっつの。ホントにまだ1行も書けてねーよ。どうすんのおれ。

*1:と言っても発案者がどう考えているかとは無関係に僕が考えている話なのだけど。