ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

id:bewaad:20080419:p1

何かまた反論が来ていますが、既に書いたことを切り貼りするだけで十分です。


MIAUの見解に示される「検閲」は、もちろんより概念的な表現であり、id:atsushieno:20080407 で芦部「憲法学」から引用した通り、米国判例で言えば「検閲」に当たることを考えれば、とても不当な、あるいは間違った表現であるとは言えない。ちなみに、芦部憲法学でも「検閲」という言葉で事前抑制の話を書いていたりするわけだし、「検閲」が憲法学におけるジャーゴンであり誤った用法である、っていう主張はやっぱり間違っているだろう。ていうか、検閲概念も id:atsushieno:20080407 で書いた通り、憲法学の立場は一致しているものではない(判例もそのひとつを形成しているにすぎない)。
id:atsushieno:20080417より)

bewaad氏はこれをすっぱり無視して、事前抑制とは異なる検閲であるという解釈を押し通しているわけです。つまりbewaad氏にとって自説を整合的に説明できる解釈に基づいてMIAUの声明文を読めば、矛盾が生じる、と主張しているわけです。



これに対して、(ロ)説は、検閲概念をより機能的に捉えるので、その周知を徹底させれば、たとえば、マス・メディアの自主規制であっても、自主規制機関が公権力から非公式の強い圧力を受け、それを実質的に代弁するような形で一定の情報を「思想の自由市場」から排除してしまう場合とか、青少年保護条例に基づいて設置された委員会(行政権)が、指定した有害図書類のリストを図書配給業者に通告する際、非協力業者は起訴されることもあり得る旨を伝え、それを裏付けるかのように警察当局も配給業者にいかなる処置をとったかなどの調査を行い、そのため配給業者が発注・販売を停止したり小売業者から当該図書類を引き上げたりする事態が生まれたような場合には、言葉の厳密な意味での事前検閲は存在しないとしても、実質的には「非公式の検閲」 (informal sensorship) とも言われる出版物の伝播に対する重大な抑圧が行われたと言えるので、それが事前検閲と同視され、憲法上許されないと解されることもありうることになる。

アメリカの判例理論における事前抑制 (prior restraint) はこのような広い概念として考えられ、それが検閲 (censorship) とも呼ばれるのが通常である。したがって、裁判所による事前差止も当然に検閲の一類型である。

(芦部信善「憲法学III 人権各論(1)」 P.363)

id:atsushieno:20080407より)

これをわざわざ↓では引っ張っているんですけどね。

「市場そのもの」が青少年向けコンテンツ提供サービスであるとき、フィルタリングが適用されれば、これは「市場そのもの」からの引き上げになるので、d:atsushieno:20080407 で芦部を引用した部分が、言及されているものと考えるのが妥当でしょう。プロシューマーが実効的な表現の場をそのサービス上に有している場合がこれに当てはまります。例えばモバゲーにたくさんのトモダチがいる中高生が小説みたいな日記を書くような態様。モバゲー自体は18歳以上でも読めるけど、myspaceみたいに年齢別に可読範囲が限定されたりしたらどうなるか。
id:atsushieno:20080418:p1より)

もっとも、アーキテクチャが異なるという言葉の意味は多分理解されなかったと思うので(大人なら見ることが出来るというのが青少年保護条例の判決の言い分。それに対してそもそも大人は見ることができないというのが上記の話)、その上で話を続けても意味がないだろうなと思います。

追記:そもそもこの前もこう書いたなあ


自分の読みたい読み方で読んで、その文脈で「MIAUは検閲だと言っているけれど論理的には間違いだよ」と断定的に解釈する方が、よっぽど妥当性を欠く。 MIAUの発表に対する批判って、実はちゃんとした根拠なんか無いと思うよ。少なくとも「間違いだ」という批判は間違い。
id:atsushieno:20080417より)

僕は別に「青少年なんちゃら委員会の基準策定は狭義の検閲に当たるから絶対反対ムキー!」とか書いているわけではなくて、かなり穏当に曲解を払拭しているだけなのだけど。