ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

まだ続く検閲(事前抑制)議論

id:bewaad:20080425:p1

むむむ、一番最初のMIAUプレスリリースについての話については、検閲と事前抑制の話をごちゃごちゃにされている件と誤読しました。これはちゃんと読まなかった僕がむしろ読みたいように読んでいた(から切り貼りもヘンテコなことになっているしそもそも絶対的検閲の話を僕からするのもよろしくない*1)わけで、僕が悪い。断定形なのが悪いというbewaad氏の主張が正しいことに僕も同意します。

(この「検閲にあたると思われます」程度の書き方っていうのは、著作権団体が根拠も無く「中古ゲーム販売は著作権侵害です」とか書いたりするのと同程度に、不確定性を前提としている一般的なものだと僕は理解するのだけど、そういう著作権団体ふうの主張の仕方が好ましくないということが、コンセンサスとして成立しつつあるということだろうから、そういう正しい流れにはむしろ棹さしておくべきだと僕も思う。もちろんMIAUに対してのみ表現に気をつけろと不均衡な要求をしているわけではないでしょうな。今後のbewaad氏の一貫性のある「厳格な」姿勢に期待したい。)

アーキテクチャ議論についてはやっぱり話がかみ合っていない気がする(そして僕の書いた具体的懸念が理解してもらえていない気がする)。

僕は岐阜県条例で問題になったコンテンツが、自販機でなければ実質的に流通しなかった事例とは考えていない。自販機と書店は、bewaad氏が新しく出してきた米国最高裁判所の門前でリーフレットを配布した事例の表現を用いるなら、"open ample alternative channels of communication"だと僕は考える。

これは、既に特定ネットワーク上では数百人以上のターゲット コンシューマーを有するコンテンツ流通ルートを有しているが、一般webサイトには有していない(しURL指示もできないため流通ルートが完全に遮断されると想定される)という例を想定しているid:atsushieno:20080418:p1の件とは異なる(ていうか、そもそも代替チャネルがあるという前提で書いていたら、芦辺引用は米国判例とは無関係におかしいでしょう。内容と合っていないわけだし)。

それに、(上記の既成の判例のような事案とは異なり)読者たちの反応を具体的にフィードバックとして受けてコンテンツが作られていく現代的なWeb/ケータイ小説的な創作表現においては、チャネルの切断は特に創作表現そのものへの影響が小さくないと思う。

順番を前後させたけど、市場云々については、憲法学上観念されていないと思われる「市場の意義」なんて無いのだからについて、コンテンツの流通市場の話であるという文脈から、独占禁止法の市場概念をマッピングして用いることに、何らおかしな点はないはず。bewaad氏もケチをつけただけで、具体的に何を代替として当てはめるべきだという話をせずに「同程度に広範な代替チャネル」という判例の表現にそのまま飛躍しているけど、米国最高裁判所の事例では、裁判所の門前というピンポイントでなければできない主張ではないから自明であるというだけの話であって、そうでない場合については、代替チャネルとしての成否を論じるには、やはり具体的な市場策定が必要になるでしょう。

*1:そもそも「検閲は絶対にあり得ない」みたいに絶対的検閲と「勝手読み」したところを経由して見たから、それと同じ解釈に基づいているんだろうと思いこんだ僕が良くない。間違っているのはそっちだけだというわけだ。