Google Street View 議論の前提 その2
id:atsushieno:20080815 は、「現状では議論できる状態になっていない」という声が少なからず見られることを受けて、その具体的な理由と考えられるものをまとめたものだ。当然ながら、GSVがプライバシーその他の法的側面で問題になりうるかという実体的な判断は含まれていない。自分の主張を押し通すために不適切な表現手段をとっている人間をフィルタアウトすることをひとつの目的としている。*1
半ば繰り返しになるが、僕は感情論には興味が無く、あくまで議論の行く末が法律上の規制の該当性あるいは新規規制立法への提言に繋がるかどうか、だけを気にしている。Googleが今やっていることは、誰かがGoogle Mapsを含む既存の地図サービスとのマッシュアップで、集合知の実装として個人が開発していたかもしれないし、これから誰かが開発するかもしれない。
僕がいま考えうる議論の帰結は、以下の通りだ:
- (1)
Google Street Viewにはプライバシーを侵害するような写真が含まれていないので、法的問題は全く存在しない←これは現実的に全く含まれていないことは無いだろうと考えている - (2) Google Street Viewにはプライバシーを侵害するような写真が含まれているが、ぼかしなど技術対策を盛り込んでおり、故意過失などの点で、不法行為や犯罪の要件を満足しない。
- (3) Google Street Viewにはプライバシーを侵害するような写真が含まれており、不法行為や犯罪の要件を満足する。
もちろん、画像を削除要請する際には、その画像が客観的にプライバシー侵害に該当することが必要である。
(2-2)と(3-1)は実質的にほぼ同義かもしれない。
(3-2)を主張するのであれば、Googleに対してのみではなく、ありとあらゆる類似の権利侵害(著作権侵害などを含む)について、同様の立場をとらなければ、公正な人間とは言えない(昨日書いた通り、Googleには何を要求しても良いというBeyond all helpな立場は失当)。このように主張する立場の人は、自分が思っているよりもはるかに過激な要求をWebサービスを展開する企業や個人に対して発している可能性があるということを、常に心に留めておくべきだ。
一般的に、立法あるいは法解釈で何かを規制しようと考える時は、その解釈や立場が、類似の事物(未来形も含む)について、おかしな方向に規制することにならないか、ということを考えることが重要だ。法律は平等に公正に適用されるものなのだから。
また、不法行為の成立については、Googleによる故意・過失を認定する必要があるが、Googleがぼかしなどの技術的対策を施していたことを無視してはならない。顔のぼかしが足りないということであれば、それはバグの問題であって、これについて過失を認めて、ありとあらゆるソフトウェアについてバグが存在しない、完全無欠なソフトウェアであることを要求することにならないよう、注意深い議論が必要だ。
不法行為からの回復についてはもう一段別の議論がある(犯罪が成立するという解釈が成立した場合は別の議論になるので、ここでは言及しない)。
- (a) ひとつは回復の余地は全くないという立場((3-2)の中で最も過激なもの)
- (b) ひとつは、上記の通り、notice and takedownによる削除義務が認められるという立場
- (c) ひとつは、問題のある類型の写真(非常に広汎な例をひとつ挙げるなら、高解像度の写真すべて)を削除することで適法性を回復できるという立場
(b)か(c)による解決を図るのが一般的な態度である、ということは言えるだろう。ただし、「不可視とすることでかえって特定地域の問題を浮き彫りにすることはないか」という議論の帰結として、(a)の立場が正当性をもつことは考えられる。(c)は、表現の自由に対する制約は最小限でなければならないという一般的な問題をクリアしなければならない。この観点では、法律上の規制を要求するより、合理的な自主規制を要請する方が妥当なので、ちゃんとGoogleに対して大人の議論、少なくとも対話、が出来る必要があろう。
いずれの立場についても、プライバシーの実体について考える必要がある。