ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

wait & see 〜 全文引用のリスク 〜

Lady.BUGさんとこで言及されているのを見て思ったのだけど、日常的にmono-*-listでもふつうのメールでも、全文引用しまくりのメールをやりとりしている僕としては、ちょっとブレーキを踏んでみたいところだ。ということで四規制力的に分析しようと思ったのだけど、市場とかアーキテクチャとかについては、別に考えることがなさそうなので…

まず全文引用をいわゆる「モラル」(規範)としてやってはいけない、とされているかどうか。これについて現代的に具体的なケースをふまえて考えてみよう。たとえば

  • 全文を引用すると送受信サイズが増大して困る、という考え方がある。いや、送受信サイズは増大するし、今でもダイヤルアップでつなぐ人は少なくない(僕もそう)だからウソではない。しかし、mono-*-listでは、パッチは圧縮せず、フラットテキストとして送信することが求められる。ユニバーサルな理由であるとは考えられない。
  • 全文引用している人はメールを読んでいない、みたいなことは、別にlady.bugさんに限った話ではなくて、たとえばうちのPaoloも、そいつらはカーソルキーとかBSの使い方を知らないんだ、みたいに非難しているのだけど、まあジョークの域を超える話ではないだろう。
  • 全文引用されたメールを読むコストを相手に与えている、という議論もアリだと僕は思うけど(あんまし見ない)、これも実質的にどれほどのコストになっているかと考えてみると、少なくともデータ転送量よりは大した問題ではないはずだ。もしそんな奥深くに重要なコメントを埋めて、しかもちゃんと読め、直ちに読め、みたいな奴がいたら相手にする必要はないと思うけど、先頭に引用マークが付いていない行を探して数十行〜数百行pagedownするだけの行為は通常大した作業ではない(補足。っていうかコメント参照〜)。それもPDAみたいなのでメールチェックしていたら不可能だろうけど(PDAだけでメールチェックしてOKっていうビジネスパーソンのモラルはどうなの?)

次に著作権法上の問題。これは主に引用の問題になるのだけど、「公正な慣行に合致」していれば問題ない。さらに、通常パブリックなMLにおいて、そのMLに投稿される範囲において引用されることが著作権を侵害することになるというのは、著作者の追及が困難になるような引用の仕方をされた場合であって、それも多少困難である程度では、法的な問題とするのはいささか牽強付会であろう*1。また、全文を引用されることは往々にしてあるものであり、それに対して常に「全文引用はやめてください」みたいなコメントがつくわけではないことを考えれば、全文引用しないことがMLの「慣行」である、と法律のコンテキストで主張するのはやはり牽強付会であるように思える。ていうか、そもそも著作権侵害である、などという攻撃はまともな人間の考えることじゃないと思う。

ていうか全文引用って、後からCcで追加された人に読ませるために付けたりするもんだと思ってたんだけど、気のせいですかそうですか。実行可能なソースをはっつけてくれ、というのと大して変わらん話だと思ってた。

そんなわけで、法に関しても規範に関しても補充性の原則を基調として生きているつもりの僕としては、全文引用を叩くというのは、理解に苦しむ部分が多い。
同じような議論で「ホームページをHPと書くな」という主張(もうさすがに居ねえか)について、僕は少なからず異論がある(というかそんなことを5,6年前に書いてたのだけど、もう昔のHPは消えてたりして)。たとえば単なるアルファベット2文字以下では商標登録で拒絶査定を受けるので、ヒューレット・パッカードと勘違いするという議論は筋違いですよ、とか*2

*1:メーリングリストは通常アーカイブにされてスレッドツリーや前後のメールを参照できることも頭に入れておくべき事柄である。

*2:登録商標でなくてもヒューレット・パッカードにHPという単語を優先的に割り当てるべきである、と考える理由は無い