XMLデータベースがハッカー的であった時代(?)
最初に期待をしないように書いておくと、これは残念ながら退屈なxmlのはなし。
改めて白田氏の「ネット・イデオロギー」を読むことがあったのだけど(もちろん本編)、これはなかなか興味深い経験をもたらした。これが出てきた頃に読んだときは、この注記が非常にクリアに(注記を読む前の)僕の感想とマッチしたのだけど、今読んでみると、何でXMLデータベースがメタ構造なんて話になってしまうんだろう、と思えてしまうのである。
当時(00年代前半頃)XMLデータベースというと、XQueryXみたいなのがひとつの完成図のように思われていたかもしれない。XSLTがXMLで記述されていたように。で、現在ではXML以上なのか以下なのか甲乙つけがたいXQueryみたいなのが主流になっている…こともなく、そもそもXML自体が構造化オブジェクトの永続化や検索に使われていない気がする。tagged documentsはuntagして検索の用に供する。(てことは、そのうちオブジェクトデータベースのデータがそのプロプラエタリフォーマットに束縛されて、大消失時代が訪れるのか。古いバージョンのruntime serializationを使ってシリアライズしたデータは、そのバージョンが消えると同時に使えなくなったりするし*1。)
いずれにせよ、仮にXSLTのようなメタな記述方式がハッカー的であるとしても、XMLはあまりハッカー的ではなくなった。「XMLがハッカー的である」という言葉を説明しなさい、と言われたら、僕ならXMLはある種のデータ構造をオープンにする役割を果たした、と答えるだろう。メタシステムであるとか、検索性がどうとか、そんな話ではなくて。そんで、そんなことが重要だった時代はもう終わった。
ところでメタな設計という意味では、Miguelがmcsを作り始めたのなんてまさにこれだなと思う。C#コンパイラをC#で書く、っていう。portable.netの一部のおバカさんたちが「mcsはbootstrapしない」とか難癖つけているのを見て ( ゚д゚)ポカーン としていたことを思い出す。たぶん、彼らとMiguelの間には大きな断絶があるのだろう。
…やっぱし僕が一番XMLを愛していないな(w
*1:「消える」も「使えなくなる」もいろんな次元で解釈できることに注意