ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

著作権保護延長は本当に国益に繋がるのか?

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/09/22/13380.html

どうやら9/28に締切のある知的財産戦略本部 コンテンツ専門調査会 企画ワーキンググループにおける意見募集に関連して、著作権延長を主張している団体が多いようです。

「日本政府は知財立国を目指すとしているが、日本だけ著作権の保護期間が短いということは、それだけ日本の財産が失われることになる」とした。

だそうですが、本気でそんなことを言っているのでしょうか むしろ、日本の国益を考えるのであれば、これとは全く反対の主張をすべきだと僕は考えます。以下、これを論証します。

自分が残り10000人の著作物をx円で利用し、10000人が自分の著作物をy円で利用するのであれば、自分にとっては、10000(x-y)円の損益になります。自分と他人に違いが無い場合には、典型的なゼロサムゲームです。さらに、これはあくまでトランザクションにかかるコストをゼロとする、という空想的なモデルに基づく計算になります。

ここでは国家マクロレベルでの収支が主題だそうなので(それだけの視点で物事を考えて良いのでしょうか?)、

  • xを日本の権利料
  • yを国外の権利料

とします。

さらに、我々は空想に基づいて計算を進めるわけにはいかないので、ここでトランザクションにかかるコストを実際に算入してみましょう。

  • コスト率をz(0<=z<=1)、
  • そのうち課税・権利団体手数料などによるコスト率をz1
  • 残りのコスト率をz2

とします。

著作者の視点で言えば、日本の著作物についてx(z1+z2), 国外の著作物についてもy(z1+z2)のコストがかかります。前提の通り、日本全体をマクロ的に見るのであれば、xz1およびyz2は無視します。日本の著作者からいくら税金・手数料を徴収しても、入るのは国庫や利権団体ですし、国外の著作者のコスト=他人の不利益なんていくらあっても、日本の損益とは無関係です(言うまでもありませんが、かなりモラルハザードを前提とした計算です)。

yz1はむしろ収益になります。ただし、大前提としてxはyより大きくなければなりません。yがxより大きいとしたら、著作権管理団体は売国奴そのものです。これは成立しているのでしょうか?

上記トランザクションにかかるコストよりも差益が小さい場合、やはり著作権団体は売国奴ということになります。つまり、以下の式が絶対に0よりも大きくなければなりません。

(x - y) - xz2 + yz1

さて、以上の値を最大化するには、

  • xを最大化すべきである
  • z2を最小化である
  • z1を最大化すべきである

ということになります。

そして、これは著作権団体の主張であるということを思い出して下さい。著作者の立場で考えれば、z1を最大化するなどとんでもないという話になります。真に著作者の利益を代弁する立場であれば、主張すべきは

  • xの最大化
  • z2の最小化

になるはずです。これはむしろ、二階建て制度*1の目指すところに近いです。

さて、保護期間の延長は、xの増大に繋がることになるでしょうか? 常識的な著作者であれば、自分が死んでから70年後のことなんて、どうでもいいと考えます。ジョン・メイナード・ケインズも「長期的に見れば、われわれは皆死んでいるのだ」と言っています。保護期間の延長なんて、著作者の権利強化には全く繋がらないんですね。

ここで、現在保護期間が延長されることで実際にいつの著作権が影響を受けるのか、考えてみて下さい。現在の著作者の権利ではありません。既に死亡してもうすぐ著作権が切れそうだという1950年代です。ということは、平均的に考えて20世紀初頭〜太平洋戦争直後くらいの日本が知財大国でないとしたら、著作権団体はむしろ売国奴なのです。

トランザクションにかかるコストは、誰が負担し、そして誰が受益することになるのか、考えてみた方が良いでしょう。

そういう意味では、著作権管理機構は、国家が設立する行政機関、あるいは非営利法人であることを要件とするくらいの制度改正をした方が良いのでしょうか?(JASRAC国営化論?) これを是とするためには、当該機構が、自らの権益拡大のためには動かない、という仮定が成立しなければならないというのがネックになってきます。つまり、著作権管理システムというものは、自らの規模について価値中立的でなければならないのです。

以上は、著作権制度が文化の発展のために存在するという点を度外視して、経済的な面で考えた話です。

ちなみに

 また、日本においては、第二次大戦中に日本が連合国側の著作権を保護していなかったという理由から、連合国側の著作物について約10年間の保護期間を加算する「戦時加算」の制度がある。協議会では、こうした戦時加算制度は極めて不適切な措置であり、廃止を求めていくとして、そのためにも著作権の保護期間を欧米と同様の死後70年に揃える必要性があるとした。

ちっともそんな必要性はないですね。いずれ、長すぎる著作権の保護期間を短縮することになるでしょうが、その時にも通用する手段として、経過措置をおくことができます。本当に必要・適切なのでなければ、経過措置も置くべきではありませんが。

とりあえず、最初に書いたとおり、締切が9/28だそうなので、以上のような話をベースに投げてみようかなと思います。めんどくさかったらこのエントリのコピペでもいいや、くらい思っていたりして。長々と書きましたが、ポイントは「今保護期間を延長しても、昭和初期の日本なんて知財大国じゃないから意味ないよ」というところだと思います。

*1:最近は何かいろんな枝葉が見えるようなので、ここではとりあえず真紀奈たんのオリジナルのこととしましょう