ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

今のところWinny事件 判決 でぐぐって最初に出てくるのはこのページなのだが

http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/archives/000373.html

挙証責任という言葉を全く理解できていないという点(というかオープンソースでなければならないかのようなナンセンスな見解である点)はおいといて。

せっかく「事実認定が重要だから判決を詳細に見ないと分からない」とまともな分析をしているのに、後半は現実を無視した主張になっていて遺憾である。47氏2chでソフトウェアのリリース告知をしているところ、2chで実名を晒せと言うのは非現実的であろう。(この点について何か言いたいことがあるとしても、47氏2chを選んだことについて、少なくとも今回の判決ではその事実を以て違法性アリとしているわけではない*1ということは押さえておく必要がある。)

それに、おそらくおもちゃ以上のソフトウェアを開発したことが無い人に理解しろというのは難しいのだろうけど、「技術革新が阻害される」という本当の意味を理解できていないように思う。ソフトウェアの開発を継続的に行うというのは、ソフトウェアの開発にとっては当たり前のことで、事後に法益侵害のために使用されうるという違法性の意識の可能性のみをもってして「開発を継続したら故意あり」というのでは、ソフトウェアの開発を以て犯罪としているのと、実質的に何ら違いが無いのである。

追記: 違法性の意識の可能性「のみ」と書いたら誤解を招くので、少し補足しておこうと思う。

判決自体はWinnyが全国で特に広く使用されている事実を、開発者に対する責任を認定する根拠として挙げている(と思われる)。ここで言う責任とは、刑法学上の有責性(S)のことではなく、むしろ客観的構成要件(TB)の一部…何だろう、やはり相当因果関係の判断の一要素として位置づけることになるのだろうか?…である。

おそらく京都地裁は、これを理由に、Winny以外のソフトウェア開発者にすべからく責任を認める判決では無い、と言いたいのであろう。ただ、この判断要素は刑事法上の有罪・無罪を区別するには、あまりにもあいまいに過ぎるし、根拠に乏しく、さらに妥当性にも欠ける(↓白田氏の文章も参照)。過失論における不安感説レベルの発想だと思う。

つまり何が言いたいかというと、この基準は重要な意味(期待可能性の形成とでも言えばいいのだろうか)で機能していないのである。

追記ここまで。

こういう発言の背景には、未知の特許に抵触していたとしても先使用権が認められるから脅威にはならない、というのと同様の発想があるのだろうと僕は思う。派生物の作成は先使用権の対象外なのだから、ちょっとした機能追加でも行えば、それはもはや先使用ではないということになろう(少なくとも追加部分にかかる著作権を主張すれば、派生物ではないという主張と矛盾する)。

とはいえ、↑と同様の発想が京都地裁にもあったのだろう、と僕は推測する。

全然関係ないのだけど、罰金刑に止まった理由には、違法性の意識の錯誤もあるのではないかと思う。これで犯罪とされるなら法律の解釈がおかしい、という作文?は証拠として採用されたということでもあるし。

*1:と思う。それこそ判決を詳細に読む必要がある。