ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

個人的なパブリックコメント

まだ終わってないけど、これで終わりにも出来る程度までは書いた。


■104ページの「検討結果」の項目

反対します。

○基本的な問題の立て方が間違っている

 まず最初に、そもそも著作権侵害にどう対処するかという根本的な問題については、私的使用複製をニュースピークで再定義することではなく、相当量の「違法コンテンツ」を合法化することこそが、必要であると考えます。基本的な方針が改められるべきです。
 違法アップロードがなぜ生じるのか、なぜそれらを違法として弾劾できるのか、正当な理由付けを考えることなく、ただ実定法に基づいて「現行法では違法だから」と主張するだけでは、文化の発展を阻害するだけですし、国民も納得しません。

 現行法では違法とされるものが多すぎます。たとえばパロディ作品の多くが著作権を侵害します。都知事選候補者の選挙演説を、その内容に近い背景をもつアニメ作品とリミックスしたものは、現在のパロディ作品の判例基準ではNGになるでしょう。静止画についても(音楽・動画以外の著作物についてもダウンロードを違法化するべく動いている権利者団体があるはずです)、マンガのセリフ部分を全く別の内容に差し替えて、何百何千というネットユーザーが、作品となるセリフを投稿するサービスもありますが、これは著作権侵害であるとされるでしょう。
 これらを「ダウンロード」する行為が違法化されるというのは、パロディ文化に属する作品の多くについて、触れることすらも違法であるということになります。これでは、意図するとせざるとに関わらず、単なる言論弾圧と同様の法律効果がもたらされることになります。
 他にも、既に通常の流通経路では入手困難なコンテンツが、公開される場合も多くあります。コンテンツが入手できないことが違法アップロードに繋がっているという認識は、権利者の多くも自覚しているはずであり、対応しなければならないという姿勢もある程度は見られます。しかし、現実にはまだ機能しておらず、またコストに見合うメリットが無ければ結局は流通しないため、その存在を議論の前提とすることはできません。一層の努力、顧客たる一般国民との協力関係が求められると言うべきでしょう。

 そもそも音楽と動画に対象を限定するという条件は、著作物全般に対象を広げると国民から受けるであろう多大な批判を潜脱するという目的でのみ加えられたものであり、理論的にはこれらに限定するというのはおかしな話です。おかしな話を前提に成立した法律には、次の改正の時に是正圧力がはたらき、結局全ての著作物を対象とすべきである、と主張する向きが出てくることでしょう。


 以降は、同審議会の中間報告の議論に沿って、私的使用複製についての意見をまとめます。


○国民の規範意識を悪化させる

 ダウンロード違法化は、道交法違反と同レベルの「一般的違反状態」をもたらすことになるでしょう。著作権侵害することなく生活している国民はおそらく皆無であり、ダウンロードによる複製も、違法化して減ることは無いでしょう。

 刑事罰が現時点で導入されないという点は、この議論にはほぼエクスキューズになりません。刑事罰が導入されない理論上の問題点は無く、単に今回の審議をとっかかりとして、次は刑事罰を導入したい、という議論が、(ダウンロード違法化が通ってしまった暁には)きっと出てくることでしょう。
 権利者団体にとって優先度の高い一般ネットユーザーを、恣意的に民事訴訟の対象とできたり、もし犯罪化されたら、警察組織にとって優先度の高い一般国民(たとえば共産党員)を、恣意的に簡単に逮捕できたりする、便利な材料として機能することでしょう。それでは、公正な法運用に支障を来します。


○ストリーミングとの不自然な相違がもたらす弊害について

 まず、有形的再製であるところの「ダウンロード」を私的使用複製から外すとなると、有形的再製ではないストリーミングと有形的再製であるダウンロードが不自然に区別されることになります。
 しかし、実際にはストリーミング的な技術であっても、ビデオデコーダによっては、真の意味でのストリーミングサーバのライセンスが高価すぎるため、ファイルを分割して送信しクライアント側で結合再生する(これに特別なライセンスは不要)という手法がしばしば用いられます(一番分かりやすい例がAdobe社のFlash)。
 今後、ビデオエンコーディングが高性能化し、通信回線が高速化すれば、わざわざストリーミングを用いる必要がどんどんなくなっていくことでしょう。かつては音楽サイトではストリーミングが多用されていましたが、現在ではmp3ファイルを置いておくだけで事足ります。この状況で、ダウンロードを違法化するということは、ストリーミングのみに「免罪符」を与えることになり、将来的なビデオコンテンツの利用可能性に悪影響を及ぼすことになる可能性は高いです。
 Adobe社はYouTube (Google)にFlashストリーミングサーバを買わせたいかもしれませんし、Microsoft社はAdobeに対抗して安価なSilverlightストリーミングサーバを売り込みたいかもしれません(私がMicrosoftSilverlight担当者なら、私利私益のためにこのダウンロード違法化に賛成することでしょう)が、本来的な需要とは別次元の理由で、ストリーミングサーバのコストをサービスプロバイダに負わせるような法制度を、私は肯んじることができません。

また、WebブラウザFireFoxのアドインにはYouTubeから動画をダウンロードするVideoDownloaderというものがありますが、YouTubeが相当数の著作権侵害ファイルを公開しているということになると、これらを開発する行為が、 Winnyの開発と同様、違法ダウンロードの幇助として民事上の共同不法行為者とされてしまうおそれもあります。今回は含まれていませんが、刑事罰が導入されたら、Winny事件のように、著作権侵害罪の共犯とも見なされる可能性もあるでしょう。


○コンテンツの消費動向は個人情報であり、その提供を必須にしてはならない

ダウンロード違法化に実効性をもたせようとすると、「合法的な」ダウンロードの際に、受信者情報をどのように確実に入手するか、という問題が生じますが、ダウンロード行為の追跡は、プライバシーの侵害に繋がるものと考えます。これを権利として具体的に説明したものとして、ジョージタウン大学のジュリー・コーエン教授による「匿名で読む権利 (a right to read anonymously)」という論文[*1]があります(簡単なものとしてはスタンフォード大学ローレンス・レッシグ教授の著書「CODE」P.249に同様の説明があります)。

[*1] http://www.law.georgetown.edu/faculty/jec/read_anonymously.pdf

同意無しに個人と消費を関連付けない(プライバシーを侵害しない)技術は、現状では存在しておらず、実施可能であるとも思えません。


送信可能化権で十分に対処できるはずである

 そもそも日本には世界に類を見ない送信可能化権という複製権の亜流のような権利が存在しており、現行法のままでも違法アップロードを規制できる状態にあります。多くのデメリットを一般国民に負担させてまで、理論的にも筋の悪い法案を通すより、送信可能化権できっちり対処するのが、ルールに則った正しいやり方であるはずです。
 これと関連して、59ページにはファイル交換ソフト利用経験の統計が載っていますが、意味のない累積データなどを見せて、あたかも著作権侵害による被害が拡大しているかのような印象付けを行っている悪質なものであると考えます。そもそもファイル交換=違法、のようなスタンスでまとめられていることに驚きと不快感を禁じ得ません。私の勤務先は世界第2位のGNU/Linuxディストリビューターですが、BitTorrentというP2P環境向けにソフトウェアを提供しています。完全に合法であり、しかも大量のダウンロードが行われているはずです。
 刑法175条(猥褻物陳列等の罪)では、頒布を行った者が犯罪者とされますが、頒布された者は処罰されません(当然法律が想定している対向犯です)。著作権法と刑法とで、根本的な齟齬が生じる理由はありません。



■105ページの「第30条の適用範囲から除外する場合の条件」の項目

反対です。

○「適法」の定義が不明である

 音楽・動画投稿サイト、特にSNSソーシャルネットワークサービス)においては、著作権者が自ら公開している著作物も数多く存在しており、その合法・違法を、一般国民が判別するのは、容易ではありません。マッシュアップを許しているものがあれば、その混乱はさらに広がることでしょう。そのようなサイトについて、概括的故意を理由にダウンロード行為を著作権侵害に問うというのでは、国民の合法的行為への期待が薄くなり、法規範意識に悪影響を及ぼします。

 また、たとえばMYUTAや録画ネットのようなサイトが違法アップロードサービスであると判断されていますが、ただでさえ問題のある判決として批判も多い中、さらにそのようなサイトからのダウンロードが著作権侵害であるとされると、国民の法感情に著しく反することになるでしょう。71ページには統計データもありますが、この中にも上記のようなサイトが含まれていると考えられ、到底信用に値するデータではないように思います。

 「適法マーク」を導入することには、さらに数多くの問題があり(MIAUパブリックコメントが指摘している通りです)、現時点ではまともに機能するソリューションとはなり得ませんし、従って法改正にあたって考慮すべきファクターではありません。


○むしろ虚偽の著作権表示を違法化すべき

 「適法アップロード」を明確化させることで、今回の違法化に対する上記の懸念を払い去ることができるとは思えません。著作権を主張する人や団体の中には、たとえば著作権が切れているはずの鳥獣戯画のような古典作品について、保有してもいない著作権を主張することで、一般国民の自由な利用を萎縮させようとする人たちも存在しています。最近では、アイディアに著作権があると主張した人物が、実際にその主張に基づいて他人のWebサイトを閉鎖させた事件が話題になりました。
 しかしながら、現在の法制度では、このような風俗秩序に対する犯罪的行為は、競争者間の私的関係としてのみ処断することになり、独占禁止法不正競争防止法で対処するには限界があります。

 合法ダウンロードマークを明示するよりもむしろ、著作権を主張するコンテンツの提供者に対して、合法な利用行為に関する必要十分な提示を義務付け、合法的であるはずの利用が禁止されているかのような権利表示を違法化するという法改正こそが必要ではないかと考えます。少なくとも、正当な著作権表示を行わない団体のために法改正がなされるというのでは、国民が納得しないでしょう。
 これは法改正当初から幅広く一般国民に対して要求すると、遵守することが難しいであろうと考えられますが、対象を著作権の管理等につき高度な注意義務が要求される業者のみを違法化の対象とすれば、当面は十分であろうと考えます。



■108ページの「i. 第30条の適用範囲からの除外」の項目

反対です。

○私的録音録画は補償か契約による対価を伴うという考えに反対します

 MIAUパブリックコメントに準じます。



■116ページ〜119ページの「第3節 補償の必要性について 3.補償の必要性の有無」の項目

反対です。

○私的録音録画は他の権利制限のために必要な手段

 MIAUパブリックコメントに準じます。

○プレイスシフトとタイムシフトについての議論が尽くされていない

 MIAUパブリックコメントに準じます。

○複製技術の変遷が恣意的に解釈されている

 そもそも私は、現在の著作権法は、複製技術の位置付けについて、根本的な問題をかかえているように思います。それは、デジタル技術を特別視しようという、誰かに刷り込まれたかのような発想のことです。
 デジタル技術は、複製行為を、作成や変更などといった作業と同様、簡単にしています。これは、人類の生産性が向上する歴史と似ています。複製が以前と比べて簡単になっているのは問題で、代償を払うか以前と同じくらい不便であるべきだ、という発想は、ラッダイト運動に近いものがあります。
 コンテント・オーサリングの側面から見れば、デジタル技術が普及することによって、作成者と利用者のパワー・バランスが変わっているとは到底考えられません。同様に、コンテンツ・ディストリビューターもネット配信技術によって大幅なコストダウンと生産性向上を実現しており、利用者とのパワー・バランスが変わってきたとは言えません。

 すなわち、デジタル技術が普及したから複製が簡単になった、だから補償金が必要である、という議論は、そもそもおかしいのです。クリエイターが大量に生産するのですから、ユーザーが大量に消費するというのは、デジタル技術という共通のインフラの上で動いている以上、当たり前のことです。デジタル情報か否かという区別は、著作権法には不要であると考えます。

 逆に、メディア媒体がほぼデジタル化し、特に2011年以降地上波TVがデジタル化する予定である現在、デジタルであることを理由に従来の著作権法に上乗せして権利を拡大するというのは、実質的には無差別に著作権を拡大しているのとほぼ同義です。米国では地上波デジタル放送に対してDRMを施すことが違法となっているそうですが、これと同様の法理が日本についても考えられるべきかと思います。

 同様のことが、技術的保護手段を用いた複製についての特別扱いについても言えます。立法時の見解では、技術的保護手段を用いているということは特別な複製防止措置が求められているということだ、ということになっていました。しかし、本当に複製防止措置が必要かどうかは、本来的にはコンテンツ提供内容や目的を中心に判断されるべきことであり、著作者あるいは頒布者が技術的保護手段を用いているか否かは、判断要素に含まれるべきではありません。音楽配信においては、DRMを施したものと、そうでないものとがあり、それらのDRMは、複製防止のためというよりはむしろ特定フォーマットの市場独占のために用いられています。そういったものを、著作権法で特別に保護する必要があるとは、考えられません。保護すべき流通形態等が特別にあるのであれば、たとえば映画に関する規定のように、別途流通形態等に基づいて規定すべきなのです。

 本来であれば、著作者の利益を害しない範囲において、著作権法第38 条の営利を目的としない演奏等に関する規定のようなものが、インターネットの世界についても同様に存在すべきなのです。具体的には、営利を目的とせず著作権者が自ら公開するコストに見合う利益が認められない著作物について、公衆への提供を、著作権の制限項目のひとつに追加すべきであると考えます。このデジタル化時代に、著作権法改正において著作権の制限の拡大は著しく遅れています。

 そのような規定は、しかし現行法に単純に追加しただけでは、おそらく機能しないでしょう。その理由は、平成15年法改正で導入された損害額のみなし規定(第114条第3項)にあります。現行法では、公開しただけでそれが利益のもとであると見なされることになり、それでは実質的に非営利であっても、形式的には「利益にならない」かたちで公開されるという事態が生じることはなくなってしまいます。この条文を根本的に見直すか、あるいは旧法的な「利益」概念を別途復元し個別の条文に適用する必要があるように思います。

 今回提示されている中間整理は、上記のいずれにも逆行する発想に基づいており、到底支持することはできません。