法令違憲にこだわりすぎでは
http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20080418/p1
これは、法令違憲でなければあらゆる条文について違憲のおそれを表明することは出来ないと考えている、ということかしら。適用違憲になるケースが少なくないおそれの大きい条文に対する懸念を「憲法に違反すると考え得る」と表記するのは、刑法175条に関する憲法の教科書を見れば一般的であると分かることでしょう。
なぜ岐阜県青少年保護条例の事件という特定のアーキテクチャについての判決にこだわるのか分からないけど*1、「市場そのもの」が青少年向けコンテンツ提供サービスであるとき、フィルタリングが適用されれば、これは「市場そのもの」からの引き上げになるので、id:atsushieno:20080407 で芦部を引用した部分が、言及されているものと考えるのが妥当でしょう*2。プロシューマーが実効的な表現の場をそのサービス上に有している場合がこれに当てはまります。例えばモバゲーにたくさんのトモダチがいる中高生が小説みたいな日記を書くような態様。モバゲー自体は18歳以上でも読めるけど、myspaceみたいに年齢別に可読範囲が限定されたりしたらどうなるか。
(一般のwebサイトで公開できるじゃん、という議論は、そもそもペーパーメディアで出版することができるから何をフィルタリングしても問題ない、という極論と、何も変わらないでしょう*3。発表するメディアの選択の自由は実効的な表現の自由を担保するものであるという一般論を、少なくとも僕は信じます。)
もちろん上記引用部分はこの問題を直接意識したものではないけど、逆にこういう問題を直接意識した上でかつこれが検閲ではないという学説があるというならぜひ見てみたいです(どういう憲法学者が新しい問題に積極的に取り組んでいるか知りたいという意味で)。