DNA鑑定は告発できるか?
ヒ素カレー事件の最高裁判決の証拠認定を巡って賛否両論が渦巻いているようだ。
http://mainichi.jp/select/today/news/20090422k0000m040140000c.html
というか、賛成派の議論で立証の妥当性について具体的に議論しているものを見かけないのだけど、要するに否定派の言っている事は全て正しそうだと理解すれば良いのだろうか。
前日に、足利事件について、新たに行われたDNA鑑定によって、原審において有力だった証拠が否定されたという判断が下されていたというのも興味深い。
http://www.sakigake.jp/p/news/main.jsp?nid=2009042001000881
後者の事例は、昨年に出版されたDNA鑑定に関する本を思い出させる:
- 作者: スティーヴン・A.ドリズィン,リチャード・A.レオ,Steven A. Drizin,Richard A. Leo,伊藤和子
- 出版社/メーカー: 日本評論社
- 発売日: 2008/12
- メディア: 単行本
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DNA鑑定などによって、虚偽の犯行自白(「私がやりました」というウソ)が発覚した事例が125件紹介されている本である。著者らは去年来日してセミナーなども行っていたようだ。なぜ虚偽自白するのかという本書の主要な議論そのものは、補強法則(被告人に不利益な証拠は自白以外にも必要であるとする法原則)が一般的に存在していない米国に比べると、日本ではそれほど重要とは言えない。が、もちろん、虚偽の自白は、それ自体、真実の追求を攪乱することになるので*1、虚偽の自白を行わせない、たとえば取調べの透明化への取り組みは重要だ。
ヒ素カレー事件は自白事件ではないので、この本で言及されている各種事例とはそもそも合わないのだけど、足利事件とは丸かぶりだ。一方、物証の科学的な鑑定が真実を語るはずだという側面では、ヒ素カレー事件では、再鑑定したら途中で鑑定判断が覆ったなどという話が弁護側から出ていたりして、その当否はそれこそ科学的に判断するより他に無いが、そのための前提として、そもそも鑑定という手続が検察側の組織に属していることは問題なのではないかと考えさせられる。
糾問主義ではなく弾劾主義に則った公平な科学的鑑定はどうあるべきか? 最低でも、鑑定に用いられた科学的判断の内容についてはきちんとオープンにされ、その判断が妥当であることが誰にでも検証可能になっていることは、必要、あるいは達成すべき目標となろう、ということについては、異論の余地は無いように思う。情報をきちんと公開せずに他人を糾問しようとする姿勢は、不公正な悪人のものだ。
(ちなみに、WikipediaではCarvelo21なる匿名の人物がずいぶんと中立性に疑問のある編集を加えた上で半保護にしているように見えるけど、これは好ましくないことだ。「支援する会」は当然リンクにあるだろうと思って見に行って気づいた。その他のリンクはどうでもいいが、「支援する会」まで削っているのはかなり意図的だろう。)
それにしても、科学捜査というものは、従前は犯罪者が証拠の認定から「逃げる」ために忌み嫌うものだったのではないかと思っていたのだけど、いつの間にか犯罪者が冤罪の認定から「守られる」ために救いを求めるものになっていた、というのは驚きだった。もうだいぶ前だけど、わたしが上記の書籍を見かけてつい買ってしまった理由は、そんなところにあったりする。わたしは今でも、科学捜査を全面的に歓迎するというよりは、古くからの被告人側の防禦権という観点で、全否定はあり得ないにしても、警戒しないわけにはいかないという立場なのだろうと思う。
*1:捜査はむしろ好都合に進むであろうが、裁判制度の目的は当然ながら審理における真実の追求である