ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

「カジュアル・コピーライト」という社会問題

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/09/13/13285.html
一体どういう複製物を渡したのであろうか。そこが違法性判断の焦点となる。

所定の入力項目という所与の制約をもとに、可罰的違法性*1を認められるだけの創作性を有する顧客マスターなどというものは、通常は存在しない。創作性のあるスキーマであったかどうかが、まず問題となる。当然ながらデータには著作権が存在しない。

スキーマに創作性が認められたとしても、入力値制約などは単純なデータのエクスポートには付いて回らないのが通常であるから、スキーマを伴わない単なるデータのエクスポートであった場合、「データベースの著作物」のうち複製された部分には、かなりの確率で創作的な部分が複製されていないと考えられる。

さらには、当該複製行為は、著作権という関係法益*2の観点で考えれば、私的使用複製であり複製権の範囲外である。当該複製行為は当然ながら業務ではない(反復継続性が無い)し、スキーマを伴うデータを配布する行為が前提となっているとは言えない以上、(仮に著作権が認められるとしても)データベースの著作権を侵害する意図があると、当然のように推認することは出来ないのである。むしろスキーマを伴うマスターデータを配布してしまっては、さらに転売されてしまう可能性が高いのであるから、データベースの著作権を侵害する形態での配布は無いと考えるのが自然であろう。

たとえ本件被告人らの行為が脅迫罪/恐喝罪として十分に悪質な、違法性の強いものであったとしても、法益関係的に考えれば、著作権という関係法益にもとづく可罰的違法性は、現在の刑事手続における捜査の端緒のレベルとしても不十分であろう。

…といったことをこの事案から考えたのだが、これ自体はあくまで問題の氷山の一角にすぎない。

このような事案で著作権法を持ち出すというのは、どうも著作権法を意図的に誤用しようという「カジュアル・コピーライト」とでも言うべき別件逮捕(=違法行為)の一類型ではないかと思われるのである。

刑事法が国民の予測もつかないような形で運用されることになれば、それは法的安定性を害しているというより他にない。法的に不安定な地位に置かれた国民(特定の政治思想を有する国民を含む)を規制することは簡単である。カジュアル・コピーライト問題は、カジュアル・コピーなどよりはるかに深刻な問題なのだ。

*1:どうしても前田雅英を支持して可罰的違法性なんて存在しないんだと主張したい人は別にそれでも良いのだけど、「構成要件該当性を認めるに足る著作物性」と言い換えても、問題の本質は変わらない。

*2:関係法益というキーワードを埋め込んでいるのは、もちろん法益関係的錯誤論を想起してもらいたいためである。