ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

patent expiration as superseded

Moglenが僕とのやり取りで「おれはFAT32特許を失効させたし、もう一度それをやらなければならなくなった」などと書いていたのだけど、そういう個別の戦いに参謀的な立場の人間が携わっているのは、資源の無駄遣いだと思う。(そうではなくて、単なる特許ファイターが参謀の役まで任されているだけだとしたら、それはそれで哀話ではある。)

そんなわけで、彼をそんな地域戦で浪費するより、FAT32特許だけでなく、これに類似する「有害なソフトウェア特許」を、まとめて屠ることができるような法理論を考えよう。FAT32の話は、話を帰納的にスタートするのに有用なので、以降も援用する。

そもそも、FAT32なんて、21世紀のファイルシステムとしては技術的に先進的というわけでも何でもない。今手元にハードディスクがあって、何らかのフォーマットで初期化したいという場合、RaiserFSやExt3ではなくFAT32を技術的な理由で選択する人は居ないだろう。通常の発明の世界であれば、古くさい発明なんか、誰も利用しようとは思わないわけだ。

であるにもかかわらず、その技術が必要とされているとしたら、それは技術的先進性とは別の次元で必要である、ということだ。たとえば、FAT32特許の場合は、Sambaプロジェクトがこの技術を必要としているが、その理由は、FAT32より優れたファイルシステムが多々存在する現代において、当然ながら技術的優位性ではなく、相互運用性のみである。

さて、特許制度というものは、自然科学の発展を守るためのものである。技術的にもはや優位でないものを保護する理由は存在しない。

以上を結合して考えると、ひとつの自然法が浮かび上がってくる:

「ある特許技術について、それに依存せず、かつより高度である優越する技術が存在する場合、その特許技術にかかる権利を保護すべきとする要請は存在しない」

とりあえずこれを「スーパーシード理論」とでも呼んでおこうか。

これはしばしば言われることだが、人類の知というものは、巨人の肩に乗っているようなもので、要は積み重ねである。だから、ある特許の上に作られた技術は、通常はその特許技術より高度なので、少なくとも特許制度全般を前提とする立場からは、なおも権利を保護すべきであると考えられる。従って、ここでは「依存せず」という要件が存在している。

この自然法は、具体的には、特許無効審判制度のようなかたちで実定法に落とし込むことができる。立証事項としては

  • 対象特許の特定
  • その技術より高度なに優越する技術の存在
  • その「より高度な優越する技術」が、当該特許に依存しないこと

が挙げられるだろう。

これだけの要件では、あくまで特許法の閉じた世界の中で法改正を行わなければならず、これではいくら自然法として説得力があるとしても、いささか心許ない。僕らは、まともな人間であれば誰でも著作権の保護期間は長すぎると思っているにもかかわらず、保護期間が短くならないような時代に住んでいる。だからここでは外部性を導入してみよう。

Sambaチームが、わざわざ技術的に劣っているFAT32をあえて実装する理由は何だっただろうか。相互運用性である。類似の要請として、技術標準への準拠を挙げることができる。

相互運用性や技術標準の普遍性を確保するというのは、独占禁止法の要請であると考えるのが妥当であろう(EU vs. Microsoftを想起すべし)。技術的優位性を有しないような価値のない特許の要保護性は、独占禁止法上の原理に基づく権利の制限という要請を上回らない。具体的には、

  • 対象特許の特定
  • その技術より高度なに優越する技術の存在(高度性優越性の証明)
  • その「より高度な優越する技術」が、当該特許に依存しないこと
  • 当該特許権の存在が、相互運用性や技術標準の普及を阻害する要因として作用していること

が立証されれば、当該特許は失効したものと判断することができる(無効ではない。それまで存在していた特許権は有効なものであったとされるべきである)。これらの要件は、いずれも対世効を認めるに十分である。

というわけで、同理論の基本的な枠組みはこんなもんだと思うけど、法制度への当てはめはもう少し具体的そして汎用的に行えるのではないかという気もする。

追記: 「高度な」と言うと、特許成立の要件である「高度なもの」と混同してしまうので、「優越する」に書き換えた。