ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

ロボットと人権

しばらく前に(そうなる予定は無かったのだけど)、代理母についてちょろっと調べたりしていたのは、かつてロボットの人権がどうのこうのというニュースがあったのと関係しているのだけど、まだその本題について書いていなかった。で、何かしらまとまった内容の物を書こうと思ったのだけど、論点が多すぎてまとまらない。というわけでスクラッチだけ書いて置いておきたい。考えがまとまったり変わったりしたら、後でまた書く。

ロボットの権利と義務に対する規制の可否

ロボットにかかる法律の問題として、よく言われるのはロボット三原則で、これはフレーム問題に直面するから実現は不可能だ…というところまではよく言われることだと思う。だが、ちょっと考えてみれば、人間に対する規律である法だって、実際には同様の問題に直面しているはずで、日本人も103条の憲法のみに縛られているわけではない。大雑把な行為規範としての規則には、なお存在する意味がある。

さて、ロボットに権利が認められるとしたら、どのようなものがあるだろうか。

  • 生命権
    • 法益のバランス。人間の文脈における生存権が認められるとすると、たとえばロボットを破壊する行為は殺人罪のように扱われることになろう。一方、ペットを殺害しても毀棄罪のみが成立する。ロボットは交換可能な部品によって、同様の機能を再現できるのではないか。人命と違って、取り返しのつかないものではないのではないか。取り返しがつかないものは財物のレベルでも有り得るので、取り返しが付くかどうかだけが判断基準というわけでもないであろう。
    • 人命はなぜ特別に尊重されるのか。その人格的存在なのか、それとも身体的存在なのか(これは、人間の死は脳死か心停止かという議論とパラレルかもしれない)。ロボットの知能的な部分を毀滅したら殺人に類似する非難に値するか。物理的な身体を伴わないAIや人工無脳についてはどうか。逆に、何ら人格的特徴を有しないロボット(20世紀から存在していた典型的な自動販売機など)はどうか(平均的な人間に比べて知能指数の低い人にも生命権は認められる)。
  • 身体権。人間と違って通常は苦痛を感じる装置ではないのではないか。もしそうではなく、人間と同様の感覚神経がシミュレートされているとしたら、ロボットに損傷を与える行為は傷害罪に類似する扱いが求められるか。(人間が感覚神経の有無を選択できないのと同様、ロボット本人には選択権が無いであろう。)
  • 名誉権。名誉感情をもたない法人には名誉毀損が認められないが、名誉感情をもたない精神的な疾患者については認められる。名誉感情をシミュレートできるロボットについてはどうか。名誉感情をもたないロボットの場合はどうか。
  • 自由権。これには様々な論点が考えられる。
    • 行為意思。ロボットに対する脅迫罪は成立するか。法人に対する脅迫罪は成立しないとする説が大勢である。強要罪については成立の余地があるか。
    • 性的自由。犯罪の成否を左右する条件が2つある。性的興味の対象たり得るか否かと、性的自由(意思)に類似する思考回路を有するか否か。一般的に性的興味の対象たり得ないロボットへの執着は単なるフェチであり、何ら違法性が問われるべきものではない。自由意思が無いロボットについて認める意義はかなり薄いように思われる(人間の場合、13歳未満の子については本人の意思すら問題にならないが、これは将来の自由を担保するパターナリズムのあらわれである)。
    • 上記と関連して、ロボットを売春用途で提供する行為は許容されるか。ドールについては既に行われており、特に規制はない。あっせん罪はパターナリズム *1のあらわれであり、その意味では意思の無いロボットを提供する行為についてパターナリズムの観点で規制する必要は無いが、意思のあるロボットについては議論の余地があるかもしれない。
  • ロボットは著作者たり得るか。プログラムが自動生成しているだけでそこに創作的関与(表現の非アルゴリズム的な選択)が無いのであれば、生産物も著作物ではない。ということは、メカニズムが解析されており何者かによって再現されている場合、その成果は著作物ではないということが言えそうだ。

権利の主体

普通に考えたらロボット本体であろう。しかし全てについてこれが当てはまるのか。実は創作者だったり設計者だったりしないだろうか。ロボットがたとえば著作物のような存在であれば*2、たとえばロボットの人格権について論じている人間は、実は創作者に特別な権利性を見出しているだけかもしれない。そのような権利議論は、特にその背景となる権利の正当性について、特に慎重に見極める必要がある。

創作者はどのような立場とみなされるのか。ロボットが人間に近い存在であるとすれば、創作者は単なる親のようなものであって、むしろ創作者に帰属する権利は少なくなるはずである。たとえば親が子を殺害してはならないように、創造者がロボットを破壊する行為は禁止されるし、部品=身体能力を奪う行為も禁止されるはずだ。あるいは、子供が親のおもちゃでないのとは異なり、ロボットは創作者のおもちゃとして扱われるのかもしれない。胚について一部有力説が主張するように、生命性を肯定しつつ財物として扱うのか。かつての奴隷制度(観念するのが難しいが)のように人権と所有権を並列的に認めるのか。

創作者という定義も一枚岩ではないであろう。AIの設計者と部品の設計者、実装者は現代的には異なることが多いはずだ。ロボットの単なる工場生産者に何らかの権利を認める意義は無さそうだと思う。

*1:これは金銭を代償に性的に搾取されやすい女性の自由を保護するというものである。歪曲した性的嗜好を「矯正」するという意味でのパターナリズムは刑法上観念されない。

*2:このような法律が議論される時期に至ってもなおプログラムが著作権法の対象であるような後進的な未来社会であったとして