ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

二重取りの理論的位置付けについて

id:inflorescencia:20070513:1179004233 のネタ。コメントに書こうかと思ったけど長くなったのでこちらに。

inf.さんの話の立て方は、譲渡権が消尽するのは二重取りだからというのに、貸与権は二重取りを前提にしているじゃないか、そもそも二重取り禁止の正当性は何なんだ?…という流れになっているのだけど、問題は二重取り禁止の論理の正当性にはないように思う。同一の金銭債権の多重取りは、普通に考えれば不当利得だ。

で、そもそも二重取りに当たるかどうかという点が問題になるが、同エントリの冒頭にある「その物については目的を達成して権利が尽きた」という一節が全てを物語っていると思う。貸与と譲渡の大きな違いは、所有者が著作権法上の用益を保持しているか否かにあるわけで、譲渡については既に複製物取得にかかる著作権的な対価を取得し目的を達成していることになる。譲渡品を貸与に使用すれば、新たな対価請求の必要が生じるけど、これも譲渡権のみが消尽することと整合する。

ここには、上記エントリで検討されている、入手の容易性とか、複製物の毀滅といった点は、判断内容として含まれてこない。(というわけでその辺の混み入った判断について、僕は言及しないw)

ちなみに、中古販売を擬態としたレンタルショップ(期限付き買い戻し条件のあるようなやつ)は貸与権侵害扱いされてきた。

で、問題の本質は何なのかというと、単純に法の不完全性にあって、たぶんそれはむしろ在ることで現実とのバランスをとっているのではないかと思う。書物における著作物の有体物的性格が、変わった気はそんなにしない。非書物については変わってきているけど。