ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

公衆送信拡大解釈事件について

判決文が出たので、雑感を書き流してみる。

結論から考えれば、著作権使用料の二重利得を「法解釈通りだ」と言って全面的に肯定する人間に、まともな奴は一人もいないだろう(という立ち位置をまずは明確にしておきたい)。 結局、実名で今回の高部判決を擁護してる奴なんて居ないのではないか。中古ゲーム裁判の時も、一太郎事件の時も、判決は法解釈通りで妥当だと主張した人間は存在した。

本件について私的複製該当性が判決上で議論されていないのは、単純に本判決において公衆送信のための複製が行われたとすることによって判断回避が行われたためであって、本来であれば私的複製該当性が議論される余地があったことは間違いないだろう。僕がざっと眺めたり聞いたりしていた範囲では、30条の関係で議論していた人間は多い。(その意味では、栗原氏のブログで噛みついているのは単なる粘着にすぎない。あそこには工作員がコメントしている雰囲気もあるが。)

個別の争点について言えば、高部裁判官には、一時的な複製は有形的再製ではないというキャッシュに関する学説が理解できていないようだ。「一時的であれば複製権が制限される」根拠を示すのは、原告の役割ではない。原告が行うべき事は、複製が一時的であること(事実)の証明のみであり、それを有形的再製に該当しないという法律評価を下すのは、本来的には高部の仕事である。

ちなみにJASRACが原告でなく被告であるのは、本訴訟が確認訴訟であるためにすぎないから、別に驚いて認識を改めるようなものでもなければ、認識が違うと言って騒ぎ立てるようなことでもない。

本件判決に関する公衆送信該当性の判断は、きわめて短絡的なもので、利用主体拡張論にみられるような「公衆」の誤用である。本件を端的に公衆送信ではないと言い切ることで、無制約なダウンロードサービス用公開と区別できなくなって困るようなことは無い。プライベートエリアに対するnon-anonymousなアップロードとダウンロードを実現するFTPサービスは、一般人には自ら実施することが「相当程度に困難」であるから、この判決で用いられているような事実認定のステップを援用すれば、やはり公衆送信権侵害だということになる。htmllintのような変換処理も、一般人にはやはり相当困難だろう。他の一般的なホスティング システムが無用な法律問題に直面させられるという批判は、正当なものだ。

先の栗原氏などは、ファイル変換処理が特別扱いされていることに、何ら疑問を感じることなく、これで一般的なホスティングと区別できていると思っているようだが、単なるファイルフォーマットの変換は、著作権法上の文脈においては、単なる修正増減であり、単なる複製と何ら変わることがない。本判決について判例集のコメントのようなものが書かれるとしたら、この変換処理が困難であるという点を理由にサービス提供者が複製主体であると認定しているが、この根拠は不明確であると批判されるように思われる。

ちなみに、これは偽訴だという噂もあって、それはそれで興味深いのだけど、法律判断は当事者ではなく裁判所が行うことであって、当事者主義の範囲(事実関係の立証)で不自然なことがあれば、それは単に先例としてほぼ意味がない。もっとも、事実と異なる虚偽の風説を流布することが目的である可能性は無くはない。