対象が限定されればそれで良し、というのは厨房の反応だ
Winny事件の時も、今回のMYUTA事件の時も、同じような反応がネットでは散見される。最初にまず「この判決では無限定に過ぎる」という批判的な意見が、あまり深い洞察を伴わずに一人歩きし、やがて判決文が出て、そんなに無限定ではなくて、いくつもの条件に合致しているから著作権侵害だって言っているじゃないか、だから妥当だ、というような類の反応である。
見当違いも甚だしい。
問題は、権利侵害扱いが無限定であるか否かではなく、限定条件が妥当であるかどうかだ。無限定に違法扱いすることは当然ながら問題があるが、特定の条件に合致するものだけを違法扱いすれば直ちにOK、ということは全くない。その条件が適切なものであるか否かが問われるべきなのである。そんなことを言っていると、最後にナチスに逮捕されてしまうだろう*1。
判決文が出てから「この判決には問題がある」というコメントを取り下げた人々がそれなりに居るけど、概してあまり実体的な判断をしているようには見えない。せいぜい、過去の判例にも似たようなのがあるというところまで調べて(というか伝え聞いて)終わりなのではなかろうか。今回の事件で問題とされるべきは、著作権(使用料の追加発生)を認める合理的な理由が存しないにも関わらず、ただでさえ理論的に根拠が薄弱な利用主体拡張論(なぜこれが必要とされるようになったのか、その背景を考察すべきである)を拡大して、公衆の定義を編曲した上で、本件を著作権侵害とみなしている点だ。本判決には積極的に否定すべき理由がある。
ちなみに、カラオケについて著作権使用料の請求を明記することを提案したものとして id:atsushieno:20050204 を挙げておきたい。利用主体拡張論は、過去の概念として流し去り、クリアな法制度を設計する方が望ましい。
おまけ。利用主体拡張論における営利性の要件について http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2004/11/post_2.html
おまけ2。僕の考え方にだいぶ近いと思う http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/c28f1d41dccc1fc03f3ad9e26a6e8898
*1:この程度の批判にすら晒される、ということだ