僕があまり歓迎しないパブリックコメントの類型(1)「キャッシュは複製だ」
何度も書く事ではないが、MIAUは皆さんがパブコメ提出しましたといって寄せてくれる意見に対して注文を付ける組織ではないし、こういう意見は出さないでくれなどと言う組織でもない。
だがまあ、僕が個人的に思うことは書いておきたい。最初の例(まあ最後になるかもしれないけど)は、「YouTubeみたいなストリーミングっぽいけど実はローカルディスクに残るキャッシュは複製だが、そこまで違法化するというのには反対」みたいに主張してしまうことだ。
(追記: 全くもって分かりにくかったので、記述を明確に。)
ネットユーザーにとって、キャッシュを複製と解釈する立場は、どう考えても自分の首を絞めるものだ。
コンピュータに理解のある著作権法学者たちは、コンピュータの利用に伴って必ず起こる「一時的蓄積」を、複製権の対象ではないと解釈する努力を積んできた。中山信弘「著作権法」P.214には以下の名前が列挙されている:
- 田村118頁
- 作花694頁
- 井上由里子「電子化時代の著作権制度の課題 - 新たなパラダイムの模索」ジュリスト1215号(2002)50頁
- 苗村憲司=小宮山宏之「マルチメディア社会の著作権」65頁
- 山下幸夫「インターネット上の著作権に関する基礎的考察」NBL620号40頁
- 佐野信「インターネットと著作権」牧野=飯村450頁
- 塩澤一洋「『一時的蓄積』における複製行為の存在と複製物の生成」法学政治学論究43号218頁(1999)
(ああ、僕がよく書くけど忘れていた井上教授の書誌名はコレだったのか、と今頃気付く。)
この逆の解釈をする名前も一応挙げられている:
- 野一色勲「コンピュータにおける複製」著作権研究16号69頁(1989)
- 山中伸一「マルチメディアと映画」著作権研究21号59頁(1995)
- 山本隆司「著作権侵害の成否」牧野=飯村315頁
- 渋谷111頁(ただし公正利用行為とする)
せっかく「一時的蓄積は本質的には複製としない」という法解釈がほぼ通説的なのだから、これは維持しておくべきだ。「YouTubeは一時的に全部蓄積しているから複製だから違法ってことになって受け入れられない」みたいなコメントが出てくると、ああそうですかじゃあネットユーザーの法規範意識としては、一時的蓄積は複製扱いでいいってことですね、などと返されてしまうことにもなりかねない。
僕的に、「このキャッシュ問題」を、ダウンロード違法化に対して批判的に主張する正しい方法は、小倉弁護士みたいな書き方をすることだ:
http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2007/09/post_0813.html
「仮に現行の著作権法でキャッシュが「複製」と解釈されても、権利制限を加えるべきではない」としているのは、裁判所が少なくともディスク上へのキャッシュについては裁判所がこれを著作権法上の「複製」とする可能性がそれなりに高く、その場合にはYouTubeでの動画視聴が違法とされることになることを十分に知りつつも、その場合には、これを適法なものとするような法改正は行わず、日本ではYouTubeの視聴自体をずっと違法なものということにしておきますよという趣旨ではないかと思います。
MIAUでも同様の論理でまとめられている。すなわち、キャッシュは複製だから文化庁の言ってる事はおかしい、という主張ではなく、キャッシュを複製扱いするような裁判例もあるからキャッシュOKというのは信用できない、という言い方になっている。
僕自身はid:atsushieno:20070927でも書いたが、この通説的見解以外の立場はあり得ないと確信しているので、自分のパブリックコメントとして、↑のようなことを書く事はないと思う(あるいは通説であることを強調してその他の解釈を許さないかたちで言及するかだ)。