フィルタリングに関する「法案としての」対案
高市案に多くの問題点があることは確かだが、何かしらの立法で実効的かつ問題のないフィルタリングを実現するために積極的に立法すべきであるという立場は、なおあり得ると思う。というより、僕自身はどちらかと言えばそのような立場であるから、法律化された対案が必要だという話になれば、その基本的な方向性も積極的に示すことが出来る。
- 各ネット事業者はフィルタリング等を通じて青少年が容易に違法情報を入手できないよう努力するものとする。
- 有害情報は含まない。(自殺幇助・自殺教唆などを含むような自殺サイトは違法情報に含まれる)
- フィルタリングについて自主規制団体(定義条文を設ける)を結成しその参加者間で統一的なフィルタリング済みサービスを提供する場合は、独占禁止法上の規制の一部または全部を受けないものとする。
- 自主規制団体は、問題のないフィルタリングを行うことがないよう、以下のような規制を受けなければならない:
- フィルタリングの基準や方法を協議して公開すること(これが青少年なんちゃら委員会に相当する)
- 基準や方法の決定にあたって、警察庁等から提言する機会を与えること。提言であり受け入れる必要はない。
- フィルタリング基準の設定にあたっては、各種差別などを助長しないようにしなければならない
- 各ネット事業者が追加でフィルタリングキーワードを設けることは、違法としないが、自主規制団体の内規に反することにはなるかもしれない。
- 各ネット事業者が指定されたキーワードをフィルタリングしない等の問題が生じた場合は、自主規制団体の内規違反として解決する。(ただし脱退を義務づける必要はない)
- フィルタアウトされたコンテンツプロバイダからの、フィルタアウトした事業者に対するクレームを受け付ける紛争解決窓口を用意すること(これがADR等に相当する
- 以上の手続について公平性・透明性を確保すること
- 紛争解決窓口が適切に対応しない場合、法の定める自主規制団体として認められることはなく、従って各種独占禁止法上の規制を免れないことになる
- フィルタリングの基準や方法を協議して公開すること(これが青少年なんちゃら委員会に相当する)
フィルタリングは時代の流れとともに廃れていく可能性も大いにあるから、完全に義務化してしまう高市案はセンスが悪い(というか多分情報化社会に対する反動なんだと思う)。上記の法案構成では、そもそもフィルタリングは青少年保護という目的に対する一つの方法として例示されているに過ぎないので、フィルタリングの時代が終わればこの案も自然と役目を終えるようになっている。
あと、この構成なら、フィルタリングがそもそも好ましくないという立場でも、ぎりぎり許容できるかできないかくらいのラインではないかと思う。
フィルタリング自主規制団体というのは、もちろんEMAを意識している。
独占禁止法上の規制というのは実際には競業者が居ないと事件性が生じないので、やや危うい気もする。いっそ届出制にしてしまっても良いかもしれない。
もっとも、こういう法律はあえて作る必要はないのではないかという意見もMIAUの人たちの一部からは受けている。彼らの言う通り、自主規制ベースのモデルは対案として十分に機能するし、「対案」は必ずしも法律の形になっている必要はない(対案厨になる必要はない)。