ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

まだCOBOLが生きていた

http://kiyosakari.blog105.fc2.com/blog-entry-95.html

ずいぶん前にトラックバックをいただいていたのに放置していました。すみません。はてなから飛んでくるメールは、popで一度どこかの環境で落とすと二度と落ちてこないところに来るので、よく見逃してしまいます…

まず、わたしは専ら刑法で使用されている用語が使われていることも、自分が使うことも、問題だと考えていません。刑法はそれこそほぼ民法における不法行為のみを主題としてその要件をじっくり煮詰めて考える学問であり、民法で我妻・末川が持ち込んだ「違法性」議論による混乱も無く、体系的に本質論を理解するにはむしろ刑法的な視点で考えた方が筋が通ると考えています。一言で言えば、民法学における不法行為論は「未熟」だと思っています(って民法に詳しくないわたしが書くのも笑える話ですが)。たとえば民法における不法行為論では、刑法における違法性の意識の可能性の議論に相当するものがありません。

さて。

上記エントリで見事にまとめていただいたとおり、プライバシー侵害については主観的構成要件が不要であるという認識は正しくない、というのがわたしの立場です。というのは、そんな大まかな考え方では、TVなどで町の風景をライブ映像で流す行為も構成要件に該当してしまうからです。

それをあくまで対立する私見として否定するのは自由ですが、わたしが理論的に妥当でないと主張しているようなので、反論します。

まずわたしとしては些末な部分から。


上述した認識を前提に,私は,引用されている壇弁護士の発言

ストリートビュー機械的に撮ったというのがポイント。何かに悪用する意図で撮影していれば裁判所はダメと言うだろうが、現時点では意図のない撮影へのコンセンスはない」

は,以下のような意味であると捉えました。以下のような理解で正しいのであれば,私の理解とも整合的であろうと思います。


判例判決例の多くが,不法行為について「違法性」という要件を立てている。
 この「違法性」は,侵害された利益の重大性と侵害態様の程度との相関関係によって決せられるという伝統的通説(我妻・末川)における「違法性」である。
 この理解を前提にすると,"悪用する意図"がある場合には,前記意味での侵害態様が悪質なものと判断されるため,被侵害利益が小さいとしても,「違法性」が肯定され,不法行為の成立が認められるであろう。
 他方,"悪用する意図"がない場合には,被侵害利益の軽重により,「違法性」が否定され,不法行為が認められない可能性がある。この点については裁判例の蓄積がないため,結論の予測は立てづらい。

と説明されていますが、末川・我妻の「違法性」の考え方に判例は実は立脚していないということは、平井宣雄の30年以上前の著書「損害賠償法の理論」で既に指摘されていますし、内田貢テキストの最新版でもその点は言及されています*1。わたしは壇弁護士ではないので、氏が上記の理解と整合的な話をした可能性は否定しませんが、だとしたら単に氏もわたしの考え方=平井・内田説とは相容れないということになるだけです。

ただ、これは(この部分こそ)主観的構成要件にどのラベルを貼るかという問題に過ぎません。というのは、我妻・末川説であるからといって、主観的構成要件としての「プライバシー侵害の意識」が不要であるという考え方の根拠にはならないですし、我妻・末川が(その学派の他の学者とは別に)主観要件判断不要論を主張しているとしたら、それは単に妥当でないというだけのことです(末川・我妻の「違法性」説そのものからは、主観要件不要論は演繹できない)。


行為者の主観(意図・目的を含む)が問題となるとすれば,それらが論じられるべき要件は,「故意」若しくは「過失」(民法709条)又は「違法性(要件において考慮される侵害態様)」のみだからです。よって,ここに,刑法学における区別,すなわち「故意」と,目的犯の「目的」や財産犯の「不法領得の意思」の区別を導入する必要はないと考えます。

この部分には根拠がありません。被告人の防御のためでも何でもない部分で、民法と刑法とで構成要件の考え方が異なっても良い、ということはできないとわたしは思います。

もしかしたら、民法は刑法と違って損害の発生さえあれば構成要件を追求しなくても良い、という考え方に立っているのかもしれませんが、妥当ではありません。被害とは無関係な次元で判断される客観的構成要件の要素はいくつもあります。たとえば相当因果関係がそうです。行為者の行為によって損害が発生したかもしれず、その行為につき故意・過失があった場合でも、相当因果関係が欠けるものであれば、不法行為は成立しません(そのような場合でも不法行為が成立するという立場は、刑法の世界では主観説と呼ばれ、現代では相手にされていません)。民法であろうと刑法であろうと、加害者の責に帰すべき「十分な」理由がないのであれば、被害者が泣きを見ることになっても、等しく、不法行為や犯罪が成立してはならないのです。

わたしは主観的構成要件不要論を「理論的にあり得ない」と主張するつもりはありませんが、最初に書いたとおり、具体的結論の妥当性に欠けると考えます。

*1:わたしは古いものしか持っていないので立ち読みしただけですが。あー専門職ならいくらでも参考資料として買うのになあ。