ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

医薬品のネット販売規制における「本当の」消費者の声を知るには

関連記事について書かれたmixi日記とかモバゲー日記(だっけ?もう入れないから分からない)を見てみればいいんじゃないか。同じ方法論がいつまで通用するかわからないけど、あの辺は情報をかなり与えられていない状態で、各個人の狭い狭い視野に基づいて、しかしそれゆえに率直に書かれているのがほとんどで、たとえば読売の憎悪を煽る意図的な犯罪報道のように、記事作成側が制御しようとするものでない限り、「本当の」声に近いものが得られるのではないかと思う。レアケースである「弱者」を錦の御旗のように掲げ争うことには意味が無い(もう意味が無くなった)。

http://japan.cnet.com/sp/drag/story/0,3800097284,20392676,00.htm

追記: ちなみにこの点に関して、買い物にも行けない人には介助者がいるはずだと主張している声があるようだが、要介助者がかかえている病気を全て介助者に報告しなければならないと考えているのに他ならず、医療個人情報の不必要な開示を強要する点で実に不適切である。

これまで見てきた印象で言えば、阿南久全国消費者団体連絡会事務局長が、本当にわれわれの声を代表しているとは考えられない。悪い意味で消費者運動≒反資本主義的嫌儲営利企業という構造が当てはまっているように見える。もしネットを活用して無料で薬を配布するビジネスや慈善活動がどこかで成立したら、彼らはやはり反対しなければならないはずだが、それでいいのだろうか。

医薬品ネット販売の件に限られた話ではないが、「安全」とさえ主張すれば何でもまかり通った時代はもう過去のものだ。これにはふたつのポイントがある。ひとつは、「安全」を一方的な主観に基づいて主張する者が多いということ。もうひとつは、安全は常に他の諸価値への影響を考慮して評価されるものでしかないということだ。(「君は自動車事故を起こす可能性がゼロではないと考えているのに、何で車に乗ってやって来たの?」)

後者については(他の諸価値を言語化さらには数値化することには意味があるが)簡単ではないので、前者について言及しよう。

「薬害をゼロにする最も簡単な方法は、いかなる方法によっても薬を投与・販売しないこと」だ。この主張がバカげているのは、薬の投与・販売の全体量が減少する事によって、生命・身体の安全が総体的に損なわれていることが自明だからだ。販売チャネルが減少すれば、リアル店舗に医薬品を買いに行く前に病状を悪化させる患者は増加する。「安全」を一面でしか理解しないと、上記のようなヘンテコな主張もまかり通ってしまう。

厚生族側が主張している対面販売の「原則」なるものについても、わたしはそもそも懐疑的だ。日本のネット業者が販売を禁止されても、医薬品のunmanagedな取得は海外から個人輸入などを経ていくらでも行える。これを「原則に反しているからけしからん」と主張するのであれば、それは海外の販売サイトに対して、その「原則」の正当性を主張出来なければならないはずだ。しかし、対面販売の「原則」を、海外に対して、きちんと合理的に説明できる人はいないとわたしは思う。それとも、対面販売の「原則」は世界的に認められているグローバルスタンダードな考え方だろうか? 海外の諸制度については既に分析があると思うが。

対面販売の「原則」は、客観的に承認されていない独自の(一部の人間にとってのみ好都合な)評価規範に基づいて主観的に主張されている「安全」の典型例だとわたしは思う。

というか、善意で制度を変えようとしているならまだ同情の余地もあるけど、規制利権が目当てではねえ…政治は特定個人や団体の利権のために動かしてはならないという「原則」はどこに行ったのだろうね。

ちなみに、新規参入者にとって不可能あるいは困難な条件によって、楽天・ヤフーらネット既存の業者のみが営業可能となるような条件が提示されたら、われわれネット消費者は彼らと異なる意見を表明すべきだろうなと思う。既存業者のみ営業可能という経過措置案があれば、最低でも見直し規定が必要であると主張しておくべきだ。(無いとは思うけど)経過措置50年で既存業者のみ販売続行という話が出たら、それは単に独占の悪意でしかない。消費者として楽天やヤフーを警戒すべきポイントはそこだ(そこくらいしかわたしには思いつかない)。