ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

手を染めて足を洗う - 大麻について考え始める

出身学部がアレなせいか、わたしにはどうも殺伐とした仕事に就いている友人知人が少なくない。大学の図書館にこもって自習室でノートPCを繋いで仕事していると、弁護士連中から電気窃盗だなどと弾劾される始末だ。正当な利用権者だっつの。

で、しばらく前に、麻薬に関する捜査をやっていた殺伐フレンドのひとりに会って、いろいろな話をした。その中で時節柄覚せい剤に関する話が出てきた。連中はいつもだいたい被疑者被告人と対話してろくでもない話をいろいろ聞いて来るわけで、こちらも半ば呆れながら聞くことになる。とか言いながら、わたしは基本的に第三者に危険を及ぼしにくい類の薬物に関する規制について慎重な立場なので*1、積極規制・厳罰化の話が続くのを、不毛な言い争いをしても何だなと思って聞き役に徹していた。

で、話がマリファナとタバコの依存性の話に流れてきた時に、まあ言い争いにはならないような感じで、大麻規制の理由って何なんだろうって振ってみた。彼の答えはざっと言えばこんな感じだった: 大麻そのものは確かに他人に危害を加える性質のものではないから、それ自体は問題ないかもしれないしかし、問題はむしろ使用者がどんどん効果を感じなくなってハードドラッグに移行していくことだ。だからいったん麻薬に手を出したらもう終わりである。

これはいわゆる飛び石理論(あるいは仮説)と呼ばれるもので、その真偽については争いがある。なのでそれで説得するのは好ましくないことなのだけど、床屋談義で個人が特定の説を支持するのは別に目くじら立てるほどのことでもないし、言い争っても不毛なので表面はそうかもねえと曖昧に濁した。

ゲートウェイ理論や飛び石理論とは別に、大麻の使用そのものによる影響を、使用者の人格の頽廃であるとして犯罪化の根拠であるとする議論はありうる。アヘン戦争に至った清王朝では現実的な問題になったとされている(ただしこれは大麻の利用は無動機症候群などに影響があるとする説を前提としている。もちろんアヘン戦争はアヘンの話)。

この辺の問題は、すばらしき新世界のソーマのような、医学的に副作用が重大でなく依存性も小さく、それでいてMDMA*2のように多幸感などが得られる薬品が出現したら、どう向き合うべきか、という問題にも重なるものがある。

個人的には規制論であれば正面から人格の頽廃を根拠とすべきだと思う。ただ、仮に無動機症候群の発生が有為に認められるとしても、幸福追求権を具体的な根拠規定として反論されるだろうから、その発生そのものを規制理由とすることは難しいように思う。幸福追求権の実現よりも社会法益の要保護性が高いとする論拠を用意する必要があろう。たとえば薬物使用者の労働意欲の低減による(単なる無動機をこえた)離職の定量的な発生を示す統計とか(憲法第27条を根拠とする規制)。

薬物使用対策に関しては、Faces of Methみたいな情報を、ただしプライバシーを侵害しないような形態で普及させていくのが賢いやり方ではないかと思う。実物ではない、顔写真の画像加工や、個人を特定できないような切り取り方での表示でもいいんじゃなかろうか。

ちなみに、ゲートウェイ理論(仮説)は、他のさまざまな場面でも応用できる。たとえばクラッキングによるプライバシー侵害も似たような問題としてとらえられる。最初は自分が合法だと思い込んでいる侵入行為を楽しんで、自分勝手な正義感で自らが得た情報を、やはり合法だと思い込んでいる方法で公開する。名誉毀損ではない=犯罪ではないと思い込んで、業務妨害罪になるかもしれないとか、不法行為(法律上の利益の侵害)であるかもしれないという意識は無く、侵入行為が止められなくなって、ついに犯罪に走ってしまうものなのかもしれない。一般的に考えると、予備行為と予備罪まわりにも繋がる考え方なのかもしれないが、今はそこまでの考えは無い。

追記: 一番重要なことを忘れていた。だから、ゲートウェイ理論というものを無批判に受け入れてはならない。ゲートウェイになる行為であると科学的に分析される行為類型について、他の法益を害さないかたちで、犯罪とする以外の方法を補充的に模索した法制度でなければならないのである。

社会法益に関する危険犯については、別の観点で考察をまとめたいと思っている(のだけど、最近なかなか文章にしてまとめるモードにならなかったりする)。

*1:具体的主張内容は分からないしデモ行進などは好まないが、カンナビストと同質かもしれない。特に医療大麻については。

*2:PTSDの治療等に用いられてきたもので、麻薬等取締法の規制対象