著作権法の二階建て制度について若干のコメント
id:shiranui:20060710:p1 が著作権法の二階建て案について言及しているので、それについてコメントを書いてみる。
まず、制度案そのものがベルヌ条約に違反しているのではないかとする説について。これが「二階建て」である最大の理由は、権利を選択制にしていることにある。すなわち、著作権法に基づく諸権利を「放棄」することで、初めて「二階に立つ」ことができるものなのだ。著作物の利用を許諾させ権利を制限する契約と同じように、二階に立つか立たないかは著作権者の任意なのだから、ベルヌ条約に違反するという見解には疑問がある。嫌なら従来の権利保護にしがみついていれば良いだけの話なのだから。
(って書くと何かWebの「あちら側」と「こちら側」の話みたいに聞こえるなあ。)
次に、白田説が、僕の見ている範囲での真紀奈説と違うものだというのは、少なくとも本人(もちろん前者)からは聞いたことがないのだけど、果たして本当なのだろうか。それに、著作権法上の保護と別に「二階」にある権利を与えるなら「首肯できる」とまで言われているけど(「理解」ではなく「肯定」なのだろうか)、これはかなりのプロコピーライト思想の発露なのでもない限り、理解に苦しむ。
一方で、メリットとデメリットを比較すると従来の著作権法の方がなお有利に見えるという点については、僕も感じているところで、僕が真紀奈説と別異の考えに走りがちなのもそこに理由がある。僕の考えでは、この制度改正の先には、拡大されてきた著作権そのものをこの二階建ての創設・進化と並行して縮小させていくというステップが無ければならない。「誤った」方向で拡大されてきた著作権のいくつか(some, or mostly?)は、新制度における保護の方が適切であるものが多い。そもそも著作権法なんて、応用美術も保護対象にしないような法律なのだから。
もっとも、そもそもの二階建て案の出発点が「ベルヌ条約や著作権法の改正を待っていたら、僕らが生きているうちに制度がまともになる見込みが無い」というところにあるので、僕の考え方は二階建て案の前提と相容れないという問題がある。真紀奈説も僕の説も、べき論というよりはテクニカルな問題があるというのが、僕の印象だ。
あと、僕の知る限り、二階建て案のメリットはもう一つある(しちゃんと皆さんの目の前に提示されている)のだけど、これは誰もが法サイドで観察しているせいか、誰も解説していないようだ。これはもしかしたらK's Diary辺りで補足してくれるかもしれない。
何か若干のコメントとか言いつつ長くなってしまったのでこの辺でsage.