ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

高木氏の主張は僕ら技術者を幸せにするか

白田氏の文章が掲載されてからしばらくチェックしていなかったのだけど、Winny関係の興味深い論評がいくつか出ているようだ。

http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20061218.html

高木氏の基本的な論調は、僕のそれに近い(ていうかid:atsushieno:20040816の頃からずっとそうなんだけど)。具体的には


私は、金子さんが有罪になるべきとも無罪になるべきとも、どちらとも考えはない。ただ、技術者の立場から、開発者への萎縮効果を避けるべきであるとするなら、次のどちらかの判決が出ることを望むのが正しいと考える。
(x) Winnyは違法な利用目的以外に利用価値のない技術である(違法目的以外の利用には十分な他の技術が存在する)とした上で、それを理由として有罪と判断される。
(y) 何らかの理由によって無罪と判断される。

という部分。

ただし僕がこの件にかかる一連のエントリにつして、高木氏のやり方をあまり適切でないと思っているのは、氏が(おそらく(y)が望ましいが現実的に(y)は起こらないだろうと考えて)(x)であることを積極的に立証するために、Winny設計がいかに安全性にかかる脅威を容認しているか、という点を強調することにある。Winnyには安全性にかかる問題があるしそのうちのいくばくかは悪意に基づいているから、禁圧されてもやむを得ない…という方向に持って行きたいという意思が読み取られる。

僕は別に、Winnyに悪意を無理矢理見いだそうとしている高木氏の議論自体に不満があるわけではない。その論理的はそれなりに妥当なものであり、氏の戦術は非常にスマートなものだ。しかし、事実的には、高木氏の主張が全面的に認められても、それが妥当な結末に至るとは考えにくいのである。

悪意のある設計(と客観的には同様の設計*1)に基づいてコードを実装し提供した場合、結局は刑事責任が問われることになってしまうのだ。同様の設計はFreenetにも見られるし、高木氏がWinnyの設計の「悪意」として主張している点は、概ねFreenetにも適用できる*2Freenet以外でも、トレーサブルでないことが重要であるようなユースケース(リアルの世界で言えばネットオークションの匿名配送サービスみたいなもの)が必要になった時、高木氏の議論の「正しさ」は、意味のないものになってしまうか、むしろそのまま新世代技術の開発に対する脅威になる(今回の判決のように違法目的で使用されることをもって責任を問われるという判決が高裁まで維持されなければ前者、確定してしまったら後者)。

(ちなみに、技術の同時代性を問うのは良い発想だと思うけど、将来的な「適法性の回復」は、実際には期待できないと思う。いったん特定の手法が違法技術ということになってしまうと、それは基本的に実装されるだけで違法だと評価されるだろうし、違法目的での利用者が出てこないことは無いと思われる。)

だから、と言えるのかどうかわからないが、僕はWinnyMonoミーティングの時に、有罪と認定するなら2chのダウソ板が主に共有中のすくつであったとか、あるいは正犯がダウソ板でWinny改良の要望を提示した、といった本件に個別具体的な事実認定をもって、Winnyに固有の事例だったと認定してほしかった、というようなことを語っていたのである。(そのような事実が「あった」と言っているわけではない。念のため。)

今回のように中立的な技術(と判決が示しているのだからWinnyの技術は中立的なのだ*3)の幇助犯として認定するためには、正犯がダウソ板で違法目的利用のために追加機能を要望し、それを実装したり迂回のヒントを示した、等のプラスアルファの行為が必要であり、それが[あった|あったとは言えない]として[有罪|無罪]にする、という結論の導出が望ましいと僕は考えている。これが、地裁判決の問題点は法律的な評価の手法であるにもかかわらず、僕がしばしば「事実認定に問題を残したのではないか」と口にする所以である。

それにしても悲しくなるのは、高木氏の同エントリをもって、あたかも村井氏が裁判所に「余計なこと」を主張したかのように評するものがたまに存在することである。

http://domainfan.com/CS/blogs/mohno/archive/2006/12/18/1392.aspx

Winny裁判の結末として我々当事者以外の人間が求めるべきは、正しい判断基準と適切な判断理由に基づく判断である。村井氏の法廷証言が無ければ、この裁判は「P2P技術は違法目的でしか使用されない」みたいな、もっとずっと低次元な事実認定で終わっていたであろう。そもそもWinny == P2Pという前提がある時点で論外だ(「WinnyP2Pとは違うんだ」と説いているロージナ茶会の人あたりが聞いたら嘆くよ)。Winny != P2P を理解している人間なら、敵視するなら「Winnyは有用」という議論であると気づくはずだ。(もちろん、事実を追及する裁判において「証言をするな」なんていう発想は、まっとうなリーガルマインドとは相容れない。*4

で、高木氏の議論は、刑法学の議論に中心的な興味のある僕としては、大して興味深いものではない。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/19/news023.html

は比較的わかりやすい形でまとまっている(ついてこられる人がどれだけいるかはわからないけど)のでおすすめ。でも、客観的帰属論まで行き着いて、はて何でこんなところに来ちゃったんだろう?と思ってしまった僕みたいな人には、むしろ↓のほうが楽しめると思う。

http://strafrecht.typepad.jp/blog/2006/12/winny_f769.html

概括的な幇助の故意の認定に関する問題については、まさに僕がid:atsushieno:20061212 で論じたとおりなのだけど*5、今回の判決における事実の法律的な評価を前提とするのであれば、誰かが使用するという事実の認容をもって故意の対象としているのだから、これが概括的であってはならないとする理由は、僕には思いつかない。*6

ちなみに、↑の面白いのはそこではなくて、社会的相当性や許された危険という客観面の判断で、具体的に価値考量されていないという点(関係あるかどうか分からないけど、社会的相当性を客観面で判断することに関して言えば、僕は曽根氏の客観的帰属論に関する論考は、安達説では論破できているとは思えない)。まあ、僕は最近山口テキストを読んで初めて、因果関係の錯誤は故意を阻却しないとしても因果関係の認識は必要であるという考え方を知って支持するようになったレベルなので、この上に石を積めるとはちょっと…(弱)

ちなみに小倉氏の文章に対しては壇氏が批判的検討を試みているのだけど

http://danblog.cocolog-nifty.com/index/2006/12/post_5eea.html


>ただ、幇助の相手方が特定人であることを要するかについて触れた文献は目にしたことがないです。
「幇助の相手方は特定した者であることを要する」(大谷・新版刑法講義総論469頁)…。
大谷實って井田以前の行為無価値論じゃないすかねこれは事実誤認。二元論だ(そうだったっけ…?)。それこそ著作権制度に対する悪意アリで社会的相当性が(犯罪成立の方に)認められたりしそうな(誤解?)。まあこの部分だけなら「つまみ食い」出来なくはないのかもしれないけど、僕の想像ではたぶん根拠の提示は無いと思われ…

*1:ここで客観面を重視するのは、単に本人の著作権制度に対する意識によって故意の有無が判断されうるという点だけでなく、この問題が客観的構成要件要素にかかる判断でなければならないためである。因果関係の認定に主観的事情を持ち込んだものは「心情刑法」として批判される。

*2:ちなみに、Freenetは当時あまり効率が良くないので、大サイズのファイル共有には適していなかった。いつぞやのゴールデンウィークの頃に共有厨がFreenetに大量発生して問題になっていた。Winnyが登場したのはその頃だったと記憶している

*3:ちなみに、これに関して、高木氏のような具体的な批評を加えることもなく、Winnyは包丁や自動車と違って中立的な道具じゃねえだろ、みたいな評釈が多いことには失望している。

*4:もちろん、この議論と、高木氏の客観的違法性を追及する姿勢を疑問視することとは、何ら矛盾しない。真実の追及と、技術の組み合わせに悪意を見いだせるようにという特定の目的に基づく話を進め方とは、異質なものである。

*5:もちろん石井氏の疑問を解決する指針を示せていると考えているわけではない

*6:直感的には、確実な社会的相当性の認識を要するべきである(未必的なものでは足りない)と思うのだけど、それが理論的に整合性のある見解なのかどうかはいまいち自信が無い。