ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

民主的統制が及んでいれば検閲は認められる…わけないじゃん

もしかして、bewaad氏は民主的統制が及んでいれば検閲をしてもおっけーとか思っているんじゃね?

http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20080410


こと法案解釈に関連する「疑問点」については、前回エントリで紹介させていただいた大屋先生のエントリの切り貼りで回答できるものばかりです。


MIAUの疑問点:1.有害基準の問題/インターネット上の莫大な情報について、何が有害で何が無害なのかの基準を、内閣府に設置される少人数の委員会が独占的に決定することには、大きな問題があります。たとえ実際にコンテンツを見えないようにするのが民間の事業者に託されたとしても、その基準を国が作るというのは、情報の検閲にあたると思われます。


「青少年健全育成推進委員会」が規則で定める基準に異議を申し立てる方法がない!

普通ない。それは日本法において、ドイツや韓国のような抽象的違憲立法審査権(適用の有無と無関係に、法規の合憲性を一般的・抽象的に問う)が認められていないからで、それはたとえばアメリカと同じ。基準の妥当性は、その適用が行なわれたあとに・それによって損害を受けたものが・損害の回復を求める訴訟の一環として・問うことになる。

ただし「法案」に基づいて「青少年健全育成推進委員会」(以下「委員会」)が定める規則は「行政手続法」(平成5年法律88号)第2条8号に定める「命令等」に該当するので、同法38条以下に定める「意見公募手続等」いわゆるパブリック・コメント制度が当然に適用される。基準の制定前に議論する機会は法律上保障されていますよ、ということ。

でも「委員会」が勝手に決めるんだろう?

民主的統制が及んでいる、というのが教科書的回答。まず「法案」31条も明記する通り、「委員会」規則は「法律若しくは政令を実施するため、又は法律若しくは政令の特別の委任に基づいて」制定されるものであり、その範囲を逸脱することはできない。そしてその法律は我々が選んだ代表たる国会議員によって定められたものなので、我々国民が間接的に正統性を与えているということに、民主政の建前としては、なっている。間接民主政の範囲内でこれ以上の正統性根拠はないと、法律学の観点からは言わざるを得ない。

このMIAUの意見の項目にこの大谷氏の項目を結びつけているということは、「民主的統制が及んでいれば検閲をしても構わない」と理解しているようにしか見えないのだけど、日本の行政機関は民主的であるように憲法上設計されている。民主的な統制が及んでいれば検閲してもおっけーというのなら、憲法で規定している検閲の禁止って一体ナニ?

おおやにきの当該エントリには(それを支持するかどうかはさておき)検閲なんて言葉は出てこないのですよ。あのエントリでの主張は、よくわからん5人の当該委員会が基準を決定するということに対する懸念に対して、少なくともその委員会は民主的に決定されるものである、という程度のものなのだから、検閲該当性の議論とは直接には関係しないのですよ。*1 MIAUの見解も、「内閣府で指定する5人なんてのはいかがわしいから検閲である」みたいな主張ではない。

検閲該当性というのは、もっと具体的に検討される話であるはずであって、だからこそid:atsushieno:20080407:p1で書いたような話を正面から論じなければならないはずなのである。

*1:そういう誤読は書いた大谷氏当人なら分かりそうなものだけど、わざわざ指摘することはないのね。何でなのかは想像するしかないけど。