ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

代理母が離婚して居なくなった事例の評価方法について

id:atsushieno:20070404:p2 からの一連のエントリとは、基本的に無関係。

http://zerodama.seesaa.net/article/104395707.html
http://zerodama.seesaa.net/article/104397567.html

代理母関係のおどろおどろしい事例がまたひとつ出てきたようで。事実の分析としては↑が参考になりそうだ。

インドでは未婚男性が女児を養子にすることは禁じられているそうなので*1、この子が代理母孤児となるだろうと言われている、らしい。「瑠璃の島」が、学校の閉鎖をおそれた花本先生が都会から孤児のはぐみを連れてきて養子にしようとしたけど、独身だからという理由で役所に断られた、っていう話だったっけか。確か。違ったかも。

複雑な事例であり、しっかりした考察も無いのだけど、とりあえず書けそうなことだけ。

上記ブログの管理人の人は


代理出産の是非」以前に、かなり異常なケースであり、議論事例として採用するには不適格かとも思う
と書かれているけど、僕は必ずしもそうではないだろうと思う。こういう事例が発生することは、今後も考えられることであって、むしろ例外扱いしてしまうと、新生児が法制度の隙間に落ちて不遇な人生を送ることにもなりかねない。きっちり拾っておくべきだと思う。

重要なのは、代理母固有の問題であるかどうかだ。代理母固有の問題でなければ、切り離して考えなければならない。

その意味で、片親が子を見捨てて離婚するというおそれを理由に、代理母を禁止すべきだ、という議論があるとしたら、それは妥当ではない。というのは、(1)代理母でない出産においては、父親が子を見捨てて離婚する可能性があるが、胎児がいる状況での離婚は違法とはなっていない(し、非嫡出子の出産も当然に違法ではないし、もちろん通常の夫婦が「将来の離婚のおそれ」を理由に子を作ることが禁止されるはずもない / 父親が欠けるのは許されるが母親が欠けるのは許されない、というのは性差別である)ということと、(2)父親が(不明である、死亡した等で)存在しないことはあり得るものだから、逆に母親が存在しない例を絶対的な禁忌として捉えることは妥当ではない(片親の家庭に対する不当な圧力を伴う価値観であり、少なくともそれを代理母禁止論の理由とすべきではない / この文脈で性別が逆転しただけで禁忌となるのは性差別と言える)ということが言えるからだ。

*1:という話が増田に書いてあるのだけど、関係者の実名が書かれているエントリなのでリンクはしない