ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

その後GSVについてつらつらと考えたこと

なんかしっかりまとめたエントリを書いた方がいいのだけど、そんな余裕が無いのでまた雑多に書きます。

違法性阻却事由の意義について

何の話とは言わないけど、違法阻却事由該当性の判断基準リストがあって、それに該当しないから「違法性はある」って思ってる人間が少なからずいるんじゃないかなあ。違法性判断以前に構成要件該当性という枠組みがあって、構成要件に該当しないものについて、違法性阻却事由なんて考えたって無駄なんだよね。こういうのは法学の素養がある人だったら、基本的な思考の枠組みとしておさえていることなんだけど。

今日のET研のシンポジウム、僕は参加できなかったんだけど、法曹系の人が肖像権侵害についてコメントしていたようですな。たぶん僕が理解している通りで。

まだウォーレン/ブランダイスのプライバシーを前提に議論していていいのだろうか

「ひとりにしておいてもらう権利」は、最初に出てきたフレーズだから一番有名だけど、アレじゃダメだろ、っていうのが通説的理解なわけで。

まあ以前にもごく軽く言及したことのある新保史生「プライバシーの権利の生成と展開」なんかは、絶版していて、なかなか読む機会に恵まれた人も多くないんだろうけどね。(2000年の本だけど、「電子メール盗聴」の議論なども載っていて、それほど古さを感じさせない内容だ。)

「スカートの中を撮影」云々は保護法益を度外視した印象論

たまに「ストリートビュー容認派は、スカートの中を撮影する行為もOKとするのか」みたいな主張を見ることがあるけど、保護法益を混同したダメな議論の典型だろう。根拠があやふやなままで話が進められているプライバシー侵害論と違って、スカートの中を盗撮する行為は既に各地の地域条例に違反する行為ではないか。然るべき政治過程を経て法的に無価値とされた行為をGoogleが行っているかのように印象付けることが目的なら、はっきりそう言明すべきである。

覗き込み、写真撮影、写真公開が、区別された上で議論されていない

覗き込みについては、人間が塀の上から覗き込むor撮影する場合とは異なり、機械が塀の上からカメラを向けるor撮影するだけの行為には存在しない。カメラの先に被写体を確認する人間がいる場合は問題になりうる。(その場合でも、カメラとしての動作を確認する行為の意思と、撮影内容を社会的な意味で認識する行為の意思は、区別して論じられるべきである。好色的興味で、塀の上に手を伸ばしてカメラを構えて、被写体を具体的に認識することなく概括的故意で撮影する場合なども別論である。*1

そして、撮影された写真を公開する段階では、塀の高さなど問題にならない。塀がある家に比べて、塀がない家だけ特別に保護されないプライバシーが存在するわけではない。

そしてあくまで万人に認められる客観的プライバシー侵害や肖像権侵害となる映像の有無が直ちに問題視されるべきである。主観的プライバシーの侵害についてどう考えるかは、id:atsushieno:20080817 でも少し議論した通り、ただちに対処できる問題ではない。

プライバシー侵害は、危険犯ではなく結果犯である(そもそも「犯罪」ではないが)ということをおさえた上で、議論する必要がある。具体的にプライバシー侵害である写真が、塀の中を撮影した場合について相対的に相当多数公開されているという事実でもない限り*2、塀の高さを論じる意味はほとんど無いのではないかと考える。

プライバシーは自衛しろという極論

逆に、公道においては、プライバシー侵害は自衛すべし、という議論をたまに見かけることがあるが、プライバシーの権利には、自衛しなくても認められるべきものがあるはずである。言い換えれば、公道であるからといって全てを公開されても良いはずはない。

現在形の評価と未来形の評価を混同してはならない

現在の法制度において問題である、という議論と、あるべき法制度はどうなるべきか、という議論は、全く別のものである。これを理解していない、あるいは意図的に歪曲して自分と逆の議論を否定しようという人間が多い。(さらには、法律の文脈と法律以外の文脈を混同する向きもある。)

現在の法制度においてGSVが違法性を内包していないのではないか、という意見を提示することや、あるいはGSV批判派が「指摘」した問題点についてnonissueであると評価することは、GSVについて法制度で未来形で解決すべき問題がない、と言うこととは全く異なる(そしてわたしが最近書いていることは主にこの前者である)。現行制度における位置付けを冷静に評価することなく、未来形で解決すべき問題を建設的に論じることはできない。

GSVの公表から既に2週間近く経過しているが、未だにこのレベルで不当な批判を対立陣営(?)に向ける人間が多いことに、わたしは本当に失望している。

解決策に対して、常に副作用を懸念すべき

GSVについて何らかの点を問題視して対策を提示するのであれば、その対策がどういう副作用をもつことになるのか、しっかり考えた方がよい。特にこれは前提となる議論によっても、生じうる副作用が変わりうる。(時間切れなので、ここは気が向いたら補足)

その他

いろいろ考えていてみゃうの人たちとも議論を交わすのだけど、いろいろ(特に批判的な)見解を聞いてみたいので、コメント欄などで議論をふっかけてもらえるといいと思います。なんか、わたしはちっともそのつもりは無いのだけど、いつの間にかGSV賛成派であるかのように思われているので(いやまあ勿論わたしよりGSVに否定的な人から見ればそりゃあGSV賛成派なんですけど)。どちらかと言えばわたしは公正なdue processを確保しようぜ、という立場です。

追記: 半日くらいおいてみたけど、結局スラドでわたし個人に対する誹謗中傷がいくつか書かれたのが見られたくらいですね。わたしは暴力的言論に屈するつもりはありませんよ。

*1:だから「竹竿の先にカメラを設置して塀越しに盗撮するのと同じ」という議論は誤りである。

*2:そのような事実があれば、プライバシー侵害の危険性が高いということで別途立法手当を施すべしという主張が、正当性をもちうる