ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

GSVの実装のアプローチと、是正方法についての雑考

まず写真を提供するのが誰かという問題。alpslabのような投稿型UGCにする方式も不可能ではないし、たとえば現行のGSVで削除された画像の代替をユーザが掲載したい、と考えることもあるだろう。ただ、クオリティコントロールの観点で画像の統一性が図られているのであろうから(location viewの人もそう明言しているそうだし、おそらく一般論として言えるはず)、少なくともGSV上では代替画像は実現しないだろうと思う。

費用的な問題かライセンス的な問題か分からないが、Google Satelliteの写真が年単位で更新されていないことを考えると*1Googleが写真の撮り直しを行うことは、法あるいは市場競争によって規制力をかけられない限り、ないのではないかとわたしは思っている。ビューの統一性の問題を考えると、これからの撮影において、Googleがストカーのカメラの設置位置をより低い位置に再設定することも無いかもしれない*2

(規制力としては、normとして、MIAU等がGoogleに対して質問状あるいは意見書のような形で是正案を提示するという儀式が有効かもしれないが、建設的な批判を拾い上げるだけでも大変な現状で、さらに是正案をまとめる作業はだいぶ困難であろうとは予想される。網羅的に「問題だ」という主張を全て提言に採用することが妥当とは思えないし、一方で自分の声を取り上げられなかった人からはどうせ不満の声が上がるだろう。)

実定法上の問題としては、プライバシー侵害(法的なコンテキストで)とその代償として発生する費用の比較衡量の話になる、というのがわたしの理解だが、既に撮影した写真を新しく撮り直せ、というのは、費用的に難しい可能性が高いと想像する(そうでないなら、問題点が一通り指摘され妥当な是正案が出てきた後で、Googleには粛々と撮り直しをやってもらいたいと思うわけだけど。)。

…という直感がわたしの中では働いているので、どうしても法的な次元で解決を図ることにならざるを得ないのではないか、という気がしている。

その意味では、「撮影視点が高いことによる弊害」の議論が一番解決から遠い問題である。高い視点からの撮影はNG、という主張は、要するにGSVはシャットダウンしなさいという主張でもある(自覚的であるにしてもないにしても)とわたしは捉えている。(だからわたしが書く話の中心は法的な側面になるし、塀の高さにかかる議論について、プライバシー侵害という主張に対してもっとも慎重にならざるを得ない。これはGoogleを擁護しているからではなく、単に上記の通り法的コンテキストとして便益比較せざるを得ないからだ。)

その他の問題、たとえば画像の解像度が高すぎて問題であり、location viewくらいのレベルまで落とすべきである、という指摘が妥当ということになれば、単に公開している画像の解像度を下げる(高解像度の写真の公開を中止する)だけで足りる話であって、撮り直しということにはならないだろう。

もしかしたら最も致命的な問題が車のナンバーかもしれない。たぶん自動認識できるのではないかと想像するが、もし出来ないとしたら、やはり人間の目で確認してから公開するのが妥当と言える。相応の精度で自動認識できるのであれば、それを施しておけば、目視まで要求するのはおそらく前述の費用便益比較の観点で妥当でないと思われる。

私道に入り込んでいたという主張についても、それが真実であれば単に画像を削除する、必要に応じて法的対応する、というだけの話だろう(これはGSVの構造的な問題ではなく、単なる運用上のミスなのではないか)。私道の撮影を認めるか否かは例によって主観的プライバシーの問題になるが、認めないと言われた場合、Googleの過失は明白なので、削除する方が安全ではあろう。

以上はあくまでわたしの推測(特にGoogleは撮り直ししないだろうとか)に基づくものだから、想定シナリオのひとつにすぎないということは念を押しておきたい。

*1:個人的な話だが、わたしが2年以上前に住んでいた家は、Satelliteだと今でも更地になっている。

*2:法的にはともかく、被写体である人々のプライバシーに対する「不安感」を取り除くという観点ではカメラを下げた方が望ましいし、カメラの設置位置が高いことによる具体的なメリットは、わたしにはあまり思い当たらないが。Satelliteでも不連続な衛星写真は用いられているわけだし、そんな些細な実装上の不統一を気にせずカメラの視点を下げる方が妥当であろう。