ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

ブログ炎上摘発事件について若干のコメント

ブログ炎上で摘発、とか言って、世間では話題になっているけど、これを受けて「法改正が必要だ」という議論があるとしたら、それは現時点ではあまり肯定的には考えられない。今回の事例は現行法で摘発できたことなんだし。

http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0902/08/news004.html

逆に言えば、今回の事例は表現の自由を考慮しても名誉毀損罪ならびに脅迫罪と判断した事例だったということで、その具体的な書き込み内容は分からないが、10年間にわたって執拗に書き込んだということなどから推測するに、相当悪質なものだったと見ているのだろう。だから、今回の事件を受けて、ネットの安易な事件評のように「言論の自由だから責任が伴うのは当たり前」とか「見落とされていた法的な価値観を見直すべき」とか「現行法では保護が足りないからこんなことになるんだ」といった議論が出てくるのはおかしいと思う。言論は暴力とは異なるものだから、集団暴行罪の創設のようなことを安易に実現できる/すべきであるとは、現時点ではあまり考えられない。

あともっとまずいのは、これからは一般人でも真実をじっくり吟味してかかないといけない、みたいな言説。今回の事件でそんな考えに至るのは間違いだ。報道機関などが業務で検証できる事実と、せいぜい時事報道くらいしか見られない一般人の検証できる事実とでは、質が大きく異なるのは当たり前のことで、それで名誉毀損になる、なんてことを言い出したら、あらゆる批判的言論が萎縮してしまう。今回の事件はむしろその表現の手法などに特異性を見いだすべきだ。

上記の記事では

誹謗中傷を執拗に繰り返すこと暴力に過ぎない。言論の自由は別ものだ。

などと安易に書いているが、たとえ誹謗中傷言説であっても、言論の自由とは別物ではない。わいせつ表現などを「表現の自由の議論の範囲外である」と当然のように議論されていた旧世代とは異なり、現代の憲法学においては、誹謗中傷言説も言論の自由の考慮の対象として、その制約を厳密な基準で吟味することには疑いがない。名誉毀損的言説や脅迫的言説は、二重の基準を通過して、表現の自由に優越する法的価値があると判断されているにすぎない。

もちろん、明確性の原則に照らして、曖昧な法運用が行われるような判例基準が示されることは望ましくないという点では、上記記事もその部分は妥当だと思うけど。(念のために書いておくと、上記記事も「個人がネットリテラシーを高めていく」ことを基調とするなど、なるべく自主努力で解決することを主張するもので、安易な規制論の産物ではない。)

「個人がネットリテラシーを高める」というだけでは難しいので、一般人にも広く守ってもらえるようなガイドラインを誰かが作って公開していくなどしていけば良いのかもしれないけどね。そういえば昔RFCでそんなのがなかったっけかな。いいものが出来たらMIAUの教科書にも組み込めるかもね。