ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

政府はマンナンライフの容器にかかる特許を無効にしてこんにゃくゼリーの安全向上を図るべき

こんにゃくゼリー問題に関する個人的な結論は表題の通りにまとまった。で、これだけで対策としては死亡事故率が目に見えて下がるのではないかと思う。少なくともそれで対策として有効かどうか様子を見れば現状では十分だと思う。以下はその理由づけ。

マンナンライフ蒟蒻畑による死亡事故率が、その他のこんにゃくゼリーより低いことは、既に知られている。マンナンライフが生産停止して、万が一そのまま生産終了なんてことになっても、マンナンライフは単なる特許権者として依然こんにゃくゼリー市場に君臨することになるだろう(だから彼らは少なくとも一時的には生産停止できる)。そうなると、むしろ危険なゼリーのみが市場に残ることになるだけだ。

あるいは安全要求が高まって余所のこんにゃくゼリーが実質的に販売不能になったところで、マンナンライフが販売再開すれば、市場における彼らの優越的な地位は安泰だ。

こんにゃくゼリーは餅と違って日本の食文化に根付いた歴史が無いから社会から排除しても問題ない、こんにゃくゼリーを擁護するやつはこんにゃくゼリー必要論の理由付けをすべきだ、みたいな議論をしている連中もいるけど、コレこそもうわたしとしては「バカなの?死ぬの?」と言うしかない。そんなのは「違い」でしかなく、排除する正当な「理由」にはならない。たかだか百年ちょっとで根本的にコロッと変わる食文化の何を過大評価しているんだと。

商品陳列する場所を変えさせればよい、あるいはそのためにパッケージを変えればよい、という主張もあるが、それが実質的な事故発生の抑止に繋がるとは考えにくいし、特にパッケージを規制するというのは無理がある(OK/NGの実態を判断する基準を立てられない)。実態としてこんにゃくゼリーは菓子として消費されている。だから、健康食品やこんにゃくのコーナーに置いたところで、それはウソをついて誤魔化しているというだけのことだし、販売総数が減るだけで、どこに置いても結局のところ菓子として消費されることになり、事故率は下がらないだろう。販売総数が減るのだから事故件数は下がって、効果があるように思えるかもしれないが、それは単にこんにゃくゼリーという市場を(消費者が求める情報を与えないという方法で不自然に)縮小させただけに過ぎない。もし市場を縮小させるのが正しい目的であるとしたら、最初からそのような規制として正々堂々行うべきであり、間接的な手法で説明責任を逃れるべきではない。

もしこんにゃくゼリーの安全性についてこれだけ騒がれていることに実質的な意味があるとしたら、行政でおこなえることは、業者がその安全性を高めるための施策を整えるということである。であれば、国民の生死に具体的法規制を必要とするほど安全性が問題になっている食品について、その安全性を高めるべく関連特許を、特許法32条における「公衆衛生を害するおそれがある」特許として扱い、全こんにゃくゼリー製造業者に開放することが、現状では最も効果が高いのではないかと思う。中山信弘教授は32条の適用対象を積極的に広げるこの案に対して否定的な立場に立つかもしれないが、32条は本来こういう場面で用いられるための規定なのではないかとわたしは思う。

吸入による事故死が最多の原因であり、その対策として押し出し型の容器が有効なのであれば、これを採用させることで安全性が向上するはずだし、もしこの対策が有効でないのだとしたら、出願技術に効果が認められないのであるから、進歩性ないし高度性を欠くものと言えよう。(対策が無効だった場合は別の安全策を立てなければならなくなるかもしれないが、わたしは、現在の死亡率程度なら、野田聖子が主張するような行政による過大な介入は有害無益だと思っている。少なくとも自由主義国家を支持する人間として、行政による介入は最小限にすべきだと思う。)

いずれにしても、現状のような「弱い者いじめ」状態は好ましくないし、「本当に弱い者」が誰なのかは、慎重に見通しておきたい。そこでは「こんにゃくゼリーを与えられる子どもが一番かわいそうだ」みたいな感情論は、正しい議論のあり方を歪めるだけだろう。

結論: ブラッディマンデイはまあなかなか面白い。ぱいそんぱいそんぱいそん!